利休居士のいう茶の湯とは―「小座敷の茶の湯は第一に仏法をもって修行し悟りに至る道のことである。……家は雨が漏らず、食べ物は飢えない程度にあればこと足りるというのが、仏の教えであり、茶の湯の本意である。
 ただ、水を運び、薪をとり湯をわかし、茶を点てて、仏に供えるとともに、他人にも茶を供し、自分も服す。花を生け、香をたく。こうしたことはすべて仏教の修行であり、それを学ぶことである。……」

わび茶の心

 『南方録』の中で、わび・さびの茶の心について、武野紹鷗と利休居士とがそれぞれ語られています。紹鷗は、新古今集の藤原定家の歌を引いて

としました。

利休居士は、さらに加えて、藤原家隆の歌を引いて説かれています。

人は花がいつ咲くかと侍つばかりだが(花や紅葉は自分の心の中にあ る)、雪に埋もれた山里(苫屋のさびの風情)の雪の間にのぞく春の芽 吹きこそ、作為のない真の感興である

師弟のあり方

茶道を教え、修得するとはどういうことでしょうか。それは、師が一方的に知識や技術を伝え、許状を取り次げばよいということではありません。
師は、自分自身が精進しながら、弟子を愛し、”道“を教え育てているという認識を持ち、何事も自らが率先して示し、弟子を導かねばなりません。
一方弟子は、修行していると自覚し、師を敬い、常に謙虚な態度で教えを請います。
こうしてお互いを尊重し高め合っていく間柄こそが、お家元が提唱されている「お人の思想」にかなうことになるでしょう。

十一代玄々斎宗匠が「稽古の席掟」を定められています。
以下にそのエッセンスを記しますので、含意を深く心しましょう。

  • まず第一に、礼儀を重んじること。
  • 着座運びは姿勢正しく呼吸整えて。
  • 他流の話や雑談をしてはいけない。
  • 菓子盆、火鉢等の取り扱いは入念に。
  • 水屋、点前作法は丁寧にし、後片付けはしっかりと。
  • 茶道のことについては、遠慮せずに質問し、他の人の質問や稽古をよく見聞きしていること。
  • ただし稽古点前に差し支えないようにタイミングをみて、話す言葉は必要最小限に。
  • 稽古場においては皆それぞれが主客の心得を磨くように。
  • そして、なにより恥を捨てて稽古に励むように。

と諭されています。