今月のことば

風を感じる

千 宗室

淡交タイムス(裏千家グラフ) 6月号 巻頭言より

 

 雨上がりの露地に夏の気配が濃く感じられる季節になりました。
 先月、宗家の稽古場には例年どおり「薫風自南来 殿閣生微涼」を掛けました。若い頃は、この言葉について漢詩の本などで調べ、人様にもっともらしい説明をしておりました。しかし、借り物の言葉を並べても、その詩を書いた人の目に映った風景や、その人が抱いた感覚は知り得ません。どんな解釈も結局のところ私が自分の肌で感じていないことだと気付き、しばらくその軸に距離を置くようになりました。
 そればかりか、毎年どうしてこの言葉を掛けるのだろうと疑問に感じた時期もあります。というのも「殿閣」とはお城のこと。中国の偉いお方が立派な御殿で涼んでいる一方で、庶民は厳しい暑さに苦しんでいるのではないかと僻んだ見方をすることもありました。それでも歳を重ねていくうちに捉え方が少しずつ変化し、今ではその軸を掛けるとき、そしてその言葉を眺めるとき、あれこれ頭で考えないほうがいいと思うようになりました。
 この漢詩の元の意とは違ってしまいますが、私は「殿閣」を私のいる場所、あなたのいる場所と置き換えてみました。また「微涼」は襖や障子を開けたとき、畳の上を渡る風がもたらすひんやりとした心地よさのことでしょう。それは私が子どもの頃、畳に寝そべって感じていた懐かしい感覚を思い起こさせます。
 そして「薫風」についても単に風が薫るというのではなく、青葉や花や土の香りを運んできてくれるものだと思うようになりました。一日ごとに季節が移ろう中で生まれてくる命もあれば、隠れていく命もあります。そのようなさまざまなものを感じさせる「薫風」も茶の湯者にとっては「日々是好日」に繋がっていくものです。
 禅語に限らず、茶席に掛かる言葉を深く知るには、書かれた元の意味を理解しようとした上で、そこに今日の自分を重ねてみる姿勢が欠かせません。そうすることで茶の湯に対する思いも深まっていくと私は思っております。
 

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