今月のことば

安全な一碗を

千 宗室

淡交タイムス 11月号 巻頭言より

 コロナ禍が続く中、その初期の頃は社会のいたるところで自分と相手との間に線引きをするような行動が増えたことは残念でなりませんでした。とはいえウイルスをもらうのは嫌だし、ましてや誰かに移してしまうのはもっと恐ろしいことです。いつまでマスクをしなくてはならないのだろうという考えが頭をよぎり、心の状態も不安定になりがちでした。しかしその萎えそうになった心をもう一度立ち上がらせるのもやはり自分にしかできません。ですから私は最初の頃、「家に帰れば外せるのだから、それだけで幸せかもしれない」と思うようにしておりました。

思い起こせば街の薬局や量販店であっという間に品切れになった頃、マスクは大変貴重な存在でした。今ではどこでも手に入りますが、当時は道に落ちているマスクでも拾いたくなるほどでした。その後、ウイルス対策のいろいろなことが分かっていく中で私たちはかえって不平不満を連ねているような気がいたします。

この数年間、皆さん方もいろいろと工夫をされたことでしょう。茶会や点前に際し、その工夫がうまくいったという方の多くは日頃の稽古でしっかり身に付けたものがあってこそできたのだと思います。点前をする人、水屋に入る人、お運びをする人、玄関番をする人も含めて一人ずつが自分の振る舞いに責任を持ち、なすべきことをやってこられた人たちは、それに加えて「何をすれば安全な一碗を差し上げることができる」と身をもって経験されたはずです。 ウィズコロナの世の中が何年続くか分かりません。しかし、ここまでお茶が楽しめるようになってきたことを感謝し、皆さんと共に研鑽してまいりたいと存じます

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