今月のことば
雨の向こうに
千 宗室
淡交タイムス7月号 巻頭言より
「利休七則」の中に、「降らずとも雨の用意」という言葉があります。一見ごく当たり前に思える教えです。ことさら今の時代は、手ぶらで外出して急な雨に遭っても、コンビニでビニール傘を買えば事足ります。とはいえ、その感覚を茶席まで持ち込んでしまったら、「七則」の対極へ向かうことになるでしょう。茶の湯を志す者は、たとえ「雨の用意」が身に付かなくとも、せめて席中での雨との付き合い方を覚えていかなくてはなりません。
今頃の懸釜には、雨が降ったときのことを第一に考えて道具を取り合わせます。なるべく水気を避け、雨を忘れさせようとする向きもあるようです。しかし、私は敢えて水に関わる銘を使います。というのも、時に雨は手ごわい相手になりますが、何より潤いをもたらすものです。大きな河川なら悠然と渦を巻き、早瀬が生まれたり淀ができたり、
雨でさまざまに変化する水を表す言葉はたくさんあります。わざわざ「雨」という語を使わなくてもいいわけです。そもそも雨粒だけが雨ではありません。雨の日は、真っ黒な雲と落ちてくる雨だけで成り立っているわけでもありません。雲の後ろにはお日さまが隠れています。中秋に「無月」という季語がありますが、かつて茶人たちは見えない月さえ愛でました。これこそ茶の湯の知恵です。
雨模様をよく見回せば、いろいろなところに気付きがあり、うまく茶席に取り込めるものもあるはずです。社中の皆さん方で探し合うような稽古も一興でしょう。そうした雨との付き合い方が「七則」へまっすぐに向かっていく一歩になると私は思っています。