今月のことば

「知る」の先へ

千 宗室

淡交タイムス 2月号 巻頭言より

 今年は稽古始めという名で初釜を執り行わせていただきました。厳しい寒さの中、各地から社中の皆さんにお越しいただき心強く存じた次第です。
 もとより玄々斎宗匠が正月の茶始めを催されて以来、初釜という名称の中には常に「稽古始め」の理念があり、それが今日まで変わらず紡がれてまいりました。今年もその思いのもと、稽古始めの一服を差し上げ、新しい年の第一歩を皆さん方と共に踏み出せたことを強く存じております。
 さて、気忙しい今の時代は、「あれを知ろう、これも知りたい」とついつい欲張りがちです。しかも身近に便利な情報源がたくさんあるおかげで、多くのことを一度に知ることができます。そうなると、「これでもう勉強できた」と満足し、そこで終わってしまう。残念ながらそれが当たり前の世の中になってしまいました。しかし、それでは入り口を覗いただけ。知り得るためにはそこから先に進んで行くことがあってこそです。何かを知って終わりということではありません。
 茶の湯の世界では、正月の稽古始めから年末の除夜釜まで、さまざまな機会のたびにいろいろなことを学び、一つを学べばまたそれに付随して学ばなければならないことが自分の前に出てくるものです。そのことを心して、常に前向きに修業しなくてはならないということを私はこれまで学んでまいりました。知り得たことを掘り下げ、自分に根付かせていく。その心構えの重要性を、皆さん方も日々の稽古を通して感じておられることでしょう。
 このような考えは時代遅れと言われるかもしれません。しかし、私には時代の方が大切なものを手放しながら先を急いでいるように思えてなりません。皆さん方には世の中の動きに惑わされることなく、知るということは到達点ではなく始まりであるということを心得て引き続きこの道をしっかり歩んでいただきたいと存じます。 

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