今月のことば

稽古の道しるべ

稽古の道しるべ

淡交タイムス9月号 巻頭言より

 京都の町中では狭い路地や辻など、あちこちにお地蔵様が大事にお祀りされ、夏の終わりには今でも町内ごとに地蔵盆が行われます。茶道会館の敷地にも、玄関へ続く通路の脇に小さいお地蔵様が祀られています。榎の太い幹のそばで、いつもやさしくほほえんでおられます。
 茶道会館は、祖父淡々斎が多くの方々に充分稽古をしていただけるようにという目的で建てたものです。基礎を造るため地面を掘り返したところ、あのお地蔵様が出てこられました。ずいぶん古いもので、お顔の凹凸がなくなるほど傷んでいたそうです。この辺りの習わしなのかどうか詳しいことは分かりませんが、そのような場合、ご縁があって掘り出した人の顔を付けるのがご供養になるということで、あのお地蔵様は淡々斎の顔をしておられます。前を通るたびに私は祖父の柔和な表情を思い出し、手を合わせてお参りしています。
 お地蔵様は、その場を行き来する人たちが道を誤らないように見守ってくださる「道祖神」です。ことさら会館前のお地蔵様は、稽古に通う人の足元をよく見てくださるようにとの願いから、背の高い祠をこしらえるのではなく、あえて低い所に今も変わらず据えてあります。
 稽古とは、それまで歩んできた道をさらに一歩ずつ踏みしめながら進んでいくもの。正しい道を歩むため、どこを目指すべきかというと、お一人ずつが茶の湯を志したときの初心です。「これが好きだからお茶をやってみよう」と思い立った方は多いはずです。動機が何であれ、一つのことを突き詰めていくと、興味の幅も広がっていきます。「関」という禅語が示すように、一つの関門をくぐれば南北東西に活路が通じます。つまり、どこへでも行けるということです。
 皆さん方には、ご自分の茶の湯の出発点を忘れず、日頃の稽古にしっかり向き合っていただければと存じます。

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