今月のことば

着物と点前

千 宗室

淡交タイムス 11月号 巻頭言より

 炉の季節を迎えました。
 今頃になると、茶の間にいる祖父淡々斎の姿をよく思い出します。祖父は普段から和服しか着ない人でした。稽古が終わって咄々斎から茶の間へ戻り、長火鉢の横にすとんと座わるとき、いかめしかったその輪郭が少しずつ柔らかくなっていったのを覚えています。それでも緩むというのではなく、くつろいでいるときでもその着物姿はしっかりと整っていました。家族で卓袱台を囲んでいる間、柔らかく伸びたその背筋が食事の場に秩序をもたらしていたように子ども心に感じておりました。
 ここ五十年くらいの間に時代が大きく変化し、今では畳の部屋があること自体が珍しくなりつつあります。着物というものはハレの、即ち特別な場合のものになってきています。
 私が幼い頃は生活様式の西洋化が進んでいたとはいえ、着物は普段着でしたから、点前をするために姿勢や構えを一気に切り替えるということはありませんでした。改めて着替えるというかしこまった意識は今と比べて少なった時代です。ですから稽古場に臨む際も緩やかに上り坂を歩んで行き、ふと気が付いたら下り坂に差し掛かっているような、いわばウォームアップからクールダウンまでが滑らかで、ごく自然にできていました。
 心の構えも体の構えも、いざ点前をするときに慌てて整えようと思っても簡単に整うものではありません。着物が特別なものとなった今の時代、とりわけ若い人たちは恐らく気持ちの切り替えに大変な心の努力をしなければならないわけですから、私たちの世代に比べたら気の毒なことだと思います。
 いろいろな変化や違いを伝えていくことも伝統の一部になるということを心に留め、ことさら指導者の皆さん方にはその辺りをお含みいただいた視線で後輩たちにアドバイスをしていただければと存じます。

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