今月のことば

坐忘閑話⑥ はたらき

千 宗室

淡交タイムス(裏千家グラフ) 6月号 巻頭言より

 受験勉強に苦しんだ頃、英単語や化学記号の丸暗記はことさら苦手だった。どちらも毎日の生活で使われていないものだ。それをひたすら覚えなくてはならない。単に小テストに受かるためだけの為である。嫌気がさすとついついこんなふうに思ってしまう。受験のためには必要なのにひねくれてしまう。だから未だに悪夢にうなされる夜もある。
 茶の湯の点前をしっかり身に付けるために必要なのは繰り返すということである。これは丸暗記ではない。確かに動作を繰り返す。しかしそれは頭だけで覚えようとしているのではない。心身一つになって取り掛からなくてはならない。稽古で繰り返すうち、見て覚えたことと動作で覚えたこととが重なり合い、いつの日にかその場に応じた「工夫」ができるようになるのだ。これを「はたらき」と呼ぶ。
 十一代家元の玄々斎は江戸の末に立礼式を考案した。点茶盤と名付けられたこのテーブルは濃茶・薄茶・炭手前が出来る。つまり茶事に使うことを念頭に考案された。
 曽祖父の圓能斎は明治の終わりに各服点を考案した。この頃、大阪を中心に流行病が猛威を奮っていた。数千人が罹患りかんし、かなりの死者も出たそうな。まだ病院や保健所も充分でない。その状況を鑑みた圓能斎は「利休居士以来の濃茶飲み回しは茶道の根幹として守りつつも、時代に即応したおひとり一碗の濃茶を練る点前をここに披露する」と各服点を発表した。その後、流行病も終息し、それに連れこの点前もなされることはなくなっていた。コロナ禍の際、私はこの各服点のことを思い出した。しかしその点前作法となると祖父が書き残したものはあるが、曽祖父の資料も得て確認したいと思った。それで家の各蔵を探してまわった。軸や古書、書簡などの所を中心に探したが見つからない。そんなふうにして三日目、一番古い土蔵の二階の棚の奥隅から各服点の巻物を発見した。やはり祖父の書き残したものとで若干の変化が見て取れる。それはその時代に合わせての進化だろう。私も倣い、茶碗を乗せる盆の形やサイズを変えたりし、曽祖父も祖父も細かく書き込んでいない部分を補わせてもらった。
 コロナ発生から翌年の初釜式を、私はこの二つの点前を組み合わせて催した。各服点はもちろん感染リスクを下げるし、立礼式は客の座る場所を等間隔で定めることになるから密を避けられる。茶の湯の初春を待ち侘びてくださった社中方に二つの式法を組み合わせたもてなしは好評だった。何よりこの二つの点前は歴代家元により正式なものとして定められているわけで、つまり苦肉の策のお扱いではない。その点も歓迎された。
 その後、我が家では初釜式だけではなく諸行事も立礼式+各服点で催してきた。思うに高齢化だけではなく生活様式が多様化してきた中、茶の湯もいろいろな姿を持っていて良い。たまたま私はこの二つの点前を組み合わせた。そしてお社中方に喜んでいただけた。これらの点前が生み出された時代を想う際、茶の湯の基本を身に付けていればこそはたらきは生じてくる・・・・・・・・・・ことを痛感する。

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