今月のことば

五感で出会う

千 宗室

淡交タイムス 5月号 巻頭言より

 私は昭和三十一年、「もはや戦後ではない」と言われた年に生まれました。子どもの頃から世の中は目まぐるしく動き、例えばテレビの普及といった身近なことから一気に世界が広がったような気がしておりました。様々な思い出を振り返るとき、モノクロのような記憶もあれば、今だに色鮮やかに蘇る記憶もあります。それは一つ一つのものと向き合う時間が長かったからかもしれません。あるいは繰り返し体験する機会があったからかもしれません。
 今の時代は世の中の変化が目まぐるしすぎるせいで、目の前のものをじっくり味わう時間を無駄のように思う人や、そのためにかかる時間をロスタイムと捉える人も増えているようです。とりわけ近年はコロナ禍に後押しされ、社会のデジタル化が加速しました。学校ではタブレットやパソコンが一人一台貸与されています。世の中のスピードについていくためには、ともかくその扱いに慣れなくてはいけないということなのでしょう。
 私もパソコンをよく使います。例えば風景では、‟壁紙“に使われるようなきれいに整えられた画像ばかり眺めていると、身の回りにある実際の景色が頼りなく見えることがあります。いつしか私たちはデジタルを基準にした価値判断に慣れてしまったのかもしれません。しかし‟壁紙“はやはり調整されたものです。目に映る本物の姿とは違うということを理解した上で、私たちは自分が五感で出会えるその場その場をもっと尊ばなくてはなりません。
 茶の湯の稽古においても、五感をフルに稼働させていろいろなものをしっかりと自分の中に取り込んでいくことが大切です。そのためには先生に褒められるような点前をしようとか、周りの人に良い格好を見せようなどという気持ちを持たないことです。それらはいわばデジタル加工のようなものでしょう。本来の自分の姿で臨んでこそ、稽古は意義あるものになるのです。

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