今月のことば

自分との約束

千 宗室

淡交タイムス 1月号 巻頭言より

 謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
 普段から私は朔日ついたちと十五日というひと月の区切りの日に、氏神様の御靈神社へお参りに行きます。はじめに本殿を参拝し、それから境内の摂社をくまなく回ります。帰り道には猿田彦神社、そして家の前にある本法寺にお参りします。
 祖母は昔、「神様仏様の前を通るときは頭を下げなさい」とよく言っていました。そのもう一つ前、物心もつかないうちから私は毎朝手を引かれて利休御祖堂に行き、お勤めをしておりました。「利休様にお願いをすれば何でも叶えてくださるから」と祖母が耳元でささやき、何でも叶えていただけるとはありがたい話だと子ども心に思ったものです。おかげで厚かましいお願いもたくさんしてまいりました。
 畏れ多いことを申せば、神様や仏様が何かを叶えてくださるわけではありません。しかし恥ずかしながら私は還暦間近になるまでそのように考えてもみませんでした。神仏にお願いするというのは、その願いを実現させるために一層努力しようと自分に言い聞かせているのだ、とようやく気付いてからは、毎朝利休居士像の前でお誓いしているという気持ちになっています。節目の日に御靈神社や猿田彦神社にお参りするのも自分を映す鏡だと思うようになりました。
 点前をする際、例えば鏡柄杓のときだけ構えを正すわけではありません。構えは常に正しく保たなくてはならないものです。だからこそ、己を省みて自分との約束が守られているかどうか確かめ、時には自分に喝を入れる。そのためのきっかけとなるような節目が必要なのではないかと存じます。

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