今月のことば

坐忘閑話⑤ 自会記

千 宗室

淡交タイムス(裏千家グラフ) 12月号 巻頭言より

 

 地下の書庫を整理していた。我ながらかなりの蔵書である。小振りな本屋が開けそうだ。大仰な響きだが実際そうなのだから仕方ない。
 中学の陸上部で股関節を怪我した。脱臼である。暫くは足を引きずっていたし、難儀なことに真っ直ぐ歩けない。家の廊下の真ん中に立ち、目をつぶって歩きだす。すぐに壁に擦れる。土壁だから半袖の時など擦過傷ができる。成人し、飲酒できるようになった頃でもまだそうだった。運転している時に警察のアルコールチェックにあったら一発勾留されるみたいな歩き方だな、と友人が言った。幸い私は運転しない。だから聞き流していた。それでも放っておけば斜めに歩いていってしまうのは情けなかった。
 私の読書量が増えたのは高校に進学してからだ。元より本を読むのは好きだった。体育の授業は両目を開いているから斜めに走ったりすることはなかったが、それでも長時間の運動は負担が大きい。それゆえ自然と本を手に取る時間が増えていった。その時代から集めた本が地下室に眠っている。今も本は増え続けているわけで、たまに整理しないとエライことになる。
 書庫の片隅に据えた、手書き時代の原稿などを仕舞っている棚をいじっていたら和綴じの会記が出てきた。若宗匠時代の自会記と他会記とである。自会記は私が一人で亭主を務めた本茶事と小寄せ茶事の記録だ。つまり、今日庵席だとかそういうあらたまった会ではない。それを開くと昭和五十八年の十一月に初茶事を催している。道具組みは初々しい。一部、宗家の道具も拝借したりしているが、何より自分で見立てたものが目につく。出張の空き時間にあちこちで手に入れたのだろう。無い知恵、無い小遣いをやりくりしたことが思い出された。今では殆ど使うことはないが、二十七歳の自分にとってこれができる最良の取り合わせだった。やたら懐かしく、床に座りこんで読み耽っていた。
 若宗匠時代に五十四回、家元になってから五十二回。もちろん先に記した小寄せ茶事を含めてだが、それにしても知らぬうちに百六回とはうっかりしていた。私はそれぞれの茶事のお客さま方の顔を思い浮かべた。若く経験の浅い私は間違いなくそのお客様方に育てていただいた。しかし、これだけ勉強する機会があったのにそれを今の己の茶の湯に生かせているのだろうか。地下から書斎に戻り椅子に腰かけた。机上には会記が置いてある。物思いにふけっていたら窓の外でヒヨドリが鳴いた。入日を受けて少し朱を乗せた椿の葉は身じろぎもしない。年の瀬の気配がいよいよ濃くなってくる。

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