今月のことば

ないものはない

千 宗室

淡交タイムス 9月号 巻頭言より

 春から行事や献茶式ご奉仕のため各地へ出向く機会が増え、六月には初めて隠岐へ行ってまいりました。飛行機とフェリーを乗り継いで目的地に到着し、船から降りた途端、「ないものはない」という町のキャッチフレーズが目に留まりました。ひっくり返せば、あるもので楽しんでくださいということでしょう。私も昔から「ないものは使わない、それがお茶」だとよく申しておりましたが、それよりよほど良いフレーズです。 

 私にとって釜を掛ける際の道具選びは一番の楽しみです。蔵に入って道具を見ていると、程よい取り合わせにしようと思っていても途中から欲が出て、削ぎ落とせることを膨らませてしまい恥ずかしく思うことがあります。私たちは知らないうちに不必要なものを身に付けてしまいがちです。 

 もともと私は何かを授けられるのが嫌で、若い頃は賞や学位のような話が来るたびにお断りしていました。私個人ではなく「若宗匠」という肩書にくれようとしていると思ったからです。そのことを盛永宗興老師にお伝えした時、「あんたは人にさしあげる人間になりなさい。あげるつもりでいたら、もらう・もらわないなんてことに拘(こだわ)らなくなる」と諭され、気が楽になりました。私の方向を定めていただいた有り難い言葉です。 

 「和敬清寂」の「寂」は言ってみれば「自分の中の余計なものを捨て去りなさい」ということです。「ないものはない」。そのような気持ちで茶の湯の本来の相(すがた)に少しでも近づいていけるよう皆さんと共に歩んでまいりたいと存じます。 

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