今月のことば

季節を渡る

千 宗室

淡交タイムス 8月号 巻頭言より

 宗家では七月朔日の稽古場に「雨後青山青転青」という禅語を掛けました。これはかつて六月朔日にも掛けていたものです。しかし、近年は本格的な梅雨が六月から月をまたぎ、それによりこの軸も七月に移ってまいりました。
 お朔日は一つの節目であり、「この月の朔日にはこの軸を掛ける」という習わしがあります。しかしながら、「七月になったから雨の軸を掛けなくてはならない」というふうに決めるものではありません。元より禅語は季節にとらわれません。四季折々の事象を例に引き、私たちの覚醒を促すものですので、この語にも雨が多くなる時季の朔日に掛かっているという感覚で対座すれば良いわけです。
 茶の湯では季節を先取りすることが(いき)だと耳にします。これは誰かに褒めてもらうためにするのではなく、頭の中で組み立てるものでもありません。季節には幅があり、隣り合う季節は持ちつ持たれつの関係にあります。どこに節目があるのか気付くこともあれば、気が付かないこともあるでしょう。それでも立ち止まって振り返ったとき、確かに節目を越えたと分かるものです。しかも年月は棒のようにまっすぐに伸びていくわけではありません。どこかにつかえるものがあって、それを乗り越えていくからこそ、私たちは季節を渡ったと感じることができます。
 季節の移ろいを肌で感じ、次の節目へ思いを馳せながら道具を触る。それも茶の湯の楽しみの一つではないでしょうか。

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