今月のことば

言葉の情け

千 宗室

淡交タイムス 7月号 巻頭言より

 

 コロナ禍を超え、お茶の世界もようやく以前の姿に近づいてまいりました。茶事や添釜で皆さんに直接お会いできますことを改めて有り難く思っております。
 さて、茶席での主客のやりとりはご馳走の一つです。言葉のキャッチボールがうまく噛み合うとうれしいものです。とはいえ、これはベテランの教授者でもなかなか難しいことです。茶席には「この場合はこう答える」という基本形があり、覚えてしまうとそれで良いと満足してしまいがちだからです。しかし、そもそも言葉のやりとりは基本形の先に楽しさがあります。植えたての庭木に例えるなら、幹の部分は基本で、そこから伸びる枝葉が楽しみにあたるでしょう。
 上手に使う言葉は人の生きる場に潤いを与えるものです。言葉を生かせるかどうかは私たちにかかっています。近頃のテレビを見ていると、ひな壇の人たちは誰かが話している最中に発言を被せようとする。会話がつながるどころか、つぶし合っているように見えます。そうして話し手の語尾に残る余韻や、そこから生まれるかもしれないユーモアをかき消してしまう。全くもって情けのない会話もどきになってしまっています。
 何事につけて言葉のやりとりを膨らませ、その先に何かを見つけようとする枝葉の部分を私たちは疎かにしていないでしょうか。相手がどのような受け取り方をするのか、その表現が好まれるかどうか考えてみる。誰でもできることなのに無頓着になっているように思えてなりません。
 茶の湯でも、堅苦しいことばかりでなく、ちょっとくすぐる一言を織り交ぜたり、その場を和ませるような言葉を探してみてはいかがでしょう。キャリアのある方ほど一考に値することではないかと存じます。

アーカイブ