今月のことば

コロナ禍での一服

千 宗室

淡交タイムス 3月号 巻頭言より

 一昨年、百七十年ぶりに宗家の茶室の修復工事が竣工しました。修復を終えた直後の茶室は頑なな状態ですが、そこに人が通り、使うことによって少しずつ壁土は湿気を吸ってしっとりとし、床板も人の重みを受けて上手にたわんでいってくれます。各茶室のお披露目はともかく、やはり茶事をしていかないことにはなかなか部屋が慣れてくれませんので、昨年の春から少しずつ茶事を始めました。予め使用する四畳半茶室の又隠や動線を産業医に見ていただき、お客様も老分方など普段から一緒におられることが多い同士、尚且つワクチン接種やPCR検査をしてくださっている方々をお招きし、さまざまな防御策を考えて行わせていただいております。

 元より私は茶事の懐石は原則一汁三菜としております。このコロナ禍では八寸の際は千鳥の盃は一切行わずにお酒を一献注がせていただくだけです。また、中立の折には席中をきれいに殺菌消毒いたします。私どもの露地は昔から風との折り合いが良く、やんわりと流れ、開け放った窓のところでくるりと回ってどちらかへ抜けていきます。このように換気の良い場所はともかく、空気の流れがそこまでよろしくない席は未だ使うのを遠慮しております。

 今は何と言いましても、無理はしないということが一番大切です。茶の湯の世界では少し無理をしてしまう、すなわちアクセルを強めに踏みっぱなしということが見受けられます。安心してアクセルを踏むためのものがブレーキで、ブレーキが駄目ではアクセルを踏めません。ブレーキばかりでは何も進みませんが、人様を導く立場にある方々には殊更自分の心の中に備えているアクセルとブレーキのバランスを心していただきたいと存じます。

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