今月のことば
ありのままの心
千 宗室
淡交タイムス11月号 巻頭言より
「
「ありのまま」と聞くと、私たちはつい「心を空っぽにしなければいけない」と考えがちです。私自身、若い頃に大徳寺の僧堂に参禅させていただいていたとき、朝の坐禅で「要らないことは何一つ考えず無心にならなければ」と思い、一所懸命に坐っておりました。ところが鳥の声や風の音にすぐに心を乱され、私が思う「エンプティ」という意味の「無」には全くなれませんでした。
しかし、あるときからじわじわと気付いてきたことがあります。「無」とはたどり着く場所ではなく、そこへ向かっていく気持ちこそが大切なのではないかということです。
「平常心」についても同じです。例えばスポーツの世界では、「平常心で臨みました」というフレーズをよく耳にします。これは「何も考えずに臨んだ」わけではないはずです。あれやこれやと雑念にとらわれている自分に気付き、的を一つに絞ることで要らないものがぽろぽろと削ぎ落とされていったということでしょう。
普段の生活においても、何か一つのことに集中するために全てを捨てて無理やり自分を向けようとする必要はありません。車のハンドルに遊びがあるように、その幅をもたせた「ありのまま」で、無駄なことや要らないものをできる限り省いていく。そのような気持ちで向き合うことが「平常心」ではないかと私は思っています。