今月のことば

坐忘閑話③ 頭 芋

千 宗室

淡交タイムス 12月号 巻頭言より

 子供の頃、年末年始は苦手だった。世間はのんびりしている。それなのに我が家は忙しい。祖父母や両親があれやらこれやらで動き回っているし、あまり顔を合わすことのない業躰たちも混じって立ち働いている。それを見ているだけで落ち着かない。茶の間を追い立てられ、奥の客間に行けば鎌倉彫りの丸い机は壁に立てられている。祖父母の部屋も飾り付けのため足の踏み場がない。私は本の虫だった。それがこの状況だ。腰を据えて本を読む場所がない。先ずそれが苦手な第一の理由だった。

 そして年が明けて大福茶を済ませ、お雑煮をお祝いする。我が家では三が日それぞれに趣の異なった雑煮をいただく。元日はこれぞ京都というべき頭芋の白味噌雑煮。二日は祖母に合わせて仙台雑煮。三日は江戸っ子の母にちなんで鴨雑煮。この鴨雑煮というのは曲者で、厳密にいうと東京風ではない。前日の仙台雑煮が清汁なのでほぼそれを使って具のみ真鴨に替える。だから菜っ葉と鶏肉で拵える〝名取雑煮〟とは似ても似つかぬものだった。

 私は白味噌雑煮が苦手だった。これが第二の理由である。子供のくせに甘いものは好みでなく、お椀の蓋を盛り上げるほど巨大な頭芋の食感も好みではなかった。この雑煮の食べ方は祖父が上手だった。柳箸を使う右手と椀を持つ左手とが点前の際の構えのように崩れず、芋を小口に崩し取って食す。この雑煮を食べ続けてきた生粋の都人の風情が感じられた。ところがその孫ときたら横で口いっぱいに頬張った芋に涙目で実に情けない姿だ。

 その私も年が改まると六十七歳。少しは分別ある年齢になってきた。コロナ禍になってすぐ、私は業躰や職員に「少人数での会食は良いが二次会は遠慮するように」とのおふれを出した。私は古びた酒場が好きで、仕事の会食の後などにそこらを一人で覗くのが楽しみだった。しかし、おふれを出した私が率先してそれを守らなくてはならない。当然、飲む機会は激減する。元は下戸だったのに飲み上がりをした私だから、酒量が落ちるのは早かった。今では殆ど飲まなくなった。ところが不思議なものでお酒の糖分の代わりなのだろうか、甘いものを求めるようになってしまったのだ。そうしてごく自然に白味噌雑煮との相性も良くなった。今では元旦が待ち遠しい。忙しいのには疲れるが頭芋の甘みが癒してくれる。頭芋を頬張りながらお節のキントンの量を目で測ったりする。それが幸せなのである。なんなんだ、これは。

アーカイブ