今月のことば
日めくりの禅語
千 宗室
淡交タイムス3月号 巻頭言より
先月、朔日稽古の床に認得斎宗匠が書かれた「看々三尺雪」を掛けました。
この言葉は、一面に降り積もった雪を豊穣の兆しとみなし、そこから何かが生まれてくるというふうに捉えられることが多いようです。あるいは、大地をあっという間に埋め尽くす雪を煩悩にたとえ、知らないうちに雪に埋もれているとしたら、そこから芽を吹いて出てきなさいという意味に解釈されることもあります。
もとより禅語には受け取り方がいろいろあり、一人一人がそれぞれの経験をもって答えらしきものを探して認識を深めていくものです。それ故、たとえば五年前に思った意味と今年思う意味とが違ってくることもあるでしょう。
「看々三尺雪」。字面からいえば、「1メートル近い雪が積もっているのを見る」というだけのこと。要は、言葉を前にして、その時の自分の生活や茶の湯に対する姿勢に照らして何を思うか、まずはフラットな状態で考えてみることが大切です。
昔は私も自分で一所懸命考え、「この禅語はこういう意味だ」と人に説明したりもしました。しかし、一度口にすると、その意味から逃れられなくなり、自分の中で柔軟さが損なわれてしまうような気がします。ですから、「昨日はこう思った。でも、今日はこう思う」。そういうことでいいのではないかと今は考えるようになりました。
禅語は「標識」ではありません。いわば日めくりのようなもの。同じ言葉でも、その日の自分が自然体で見ることによって捉え方が変わってくるかもしれません。それもまた「一期一会」なのでしょう。