レッスン風景

裏千家川崎教室


レッスン風景6

 最終月。初回に先生がおっしゃっていた「半年はあっという間ですよ」を実感した半年間でした。

 今月新しく教わったのは「花月」。折据(おりすえ)と呼ばれる紙箱に入った木札を、くじ引きのように順に引き、そこに描かれた絵柄で亭主と客を決めながら、順にお茶を点てていくものです。

 折据の持ち方、開け方、置き方。木札の取り方、持ち方、絵柄の確認の仕方。引いた札ごとに異なる役割とお作法。新しいことがてんこ盛り。さらに亭主と客の役割もどんどん入れ替わるため一瞬たりとも気が抜けません。特に、皆で立ち上がり、揃って席を移動する際は、全員、一挙手一投足が先生に言われるがまま。不出来なロボットのようなぎこちない動きに、思わず笑ってしまうほどでした。

 最終日。この日も花月で亭主を決めたのですが、亭主役を務められた受講者が、とても堂々と凛々しくお茶を点てていらして感動しました。皆でお菓子とお茶をいただいた後、一人一人に先生から「許状」をいただきました。

 茶道を始めて以来、目に映るいろいろな景色が新たな色を帯びて輝くのを日々感じます。そして、一生かけても到底知り得ないほどの茶道の奥深さ、世界の色鮮やかさと出会い、これから年を重ねていくことが今まで以上に楽しみになりました。

 また、コロナ禍という非常事態でお稽古を始めたことで、意識の変化に大きな影響がありました。コロナ禍前は、各地へ出かけて「経験」することが人生を豊かにすると思っていた節がありました。ですが、旅行や出張が自由にできない状況になったことで、土地から土地を移動する「横」軸の旅はできなくなりましたが、おかげで、一つの場所にとどまり、一つのことから何を感じ、どんなふうに解釈するか、自身の内へと潜っていく「縦」軸の旅の豊かさに、やっと気づけたような気がします。そんなタイミングで茶道に出会えたのはとても幸せなことでした。

 3週目のお稽古の終わりに、先生が「茶道というのは大きな河のようなもので、私たちはその一滴なのですよ」とおっしゃったことが深く印象に残っています。私もその河の1滴として、雄大な河のほとりからおそるおそる足先を浸けたところなのだと思います。

 いつもあたたかくすてきなおもてなしで迎えてくださった先生方と、互いを励まし、笑いあいながら共に学んだ受講者の皆さまに感謝を込めて、このレポートを閉じさせていただきます。


レッスン風景5

 厳しい寒さの2月。釜から立ち上るたっぷりの湯気や春の兆しを感じられるお軸、お菓子に心を温められながら励んだ1ヶ月でした。特に気に入ったお菓子は「下萌え」です。一見すると温泉まんじゅうのようで少々地味な印象ですが、表面の割れ目からわずかに見える緑色がとっても鮮やかで、春を待ち侘びる思いが繊細に切り取られていて愛らしかったです。

 2月の稽古は「薄茶平点前」のお稽古です。
 実を言えば、1月も12月も「薄茶平点前」のお稽古ですが、ただの繰り返しではなく、一期一会であることを毎回ひしひしと感じます。お花やお菓子、茶道具、気候などが変わるのはもちろん、先生のお話やそこから感じること。また自分自身の心の持ちようやできるようになった所作も。すべてが毎回変化して、一度として同じお稽古だったと感じたことはありませんし、そうした微細な変化を感じられるのは「毎週土曜の13時に川崎教室に集まる」という軸があるからなのかもしれません。

 今期の川崎教室は、毎週土曜の9時、13時、16時と1日3回のお稽古がありますが、都合がつかない場合は別の時間帯で出席も可能です。そんな融通を聞いていただけるのも、初心者教室を続けやすい理由だと感じます。

 また計4名の先生がおられ、毎回うち2名の先生がいらして教えてくださいます。先生によって気にかけてくださるポイントが違うので、多様な視点で茶道に触れることができることも初心者には大変ありがたいです。

 2月は久しぶりにご指導いただく先生から、帛紗さばきをご指導いただきました。帛紗さばきは初回に教わった所作ですが、いまだにうまくできず、あやふやに畳んでいた節があったので、何度も一緒に練習させていただけたのは嬉しかったです。また、数ヶ月茶道を学んだうえで改めて教わると「なるほど……そういうことか!」と、急に合点のいく部分もありました。きっと初回も同じように指導してくださっていたはずですが、私が先生のおっしゃる意味や意図を理解しきれず、聞いているようで右から左に受け流してしまっていたのだと思います。

 先生のおっしゃることに素直に耳を傾ける。先生の真似をしてとにかくやってみる。その場では理解したり、うまく動いたりはできなくても、繰り返すうちにほんの少し何かをつかめたような気がする。そんな瞬間を味わえることも、茶道を続ける楽しみのひとつですね。

 いよいよ来月で卒業です。果たして、初回から何か進歩したことや変化したことがあるでしょうか。私の「白珪」は少しでも磨くことができたでしょうか。自分の内面と向き合いながら、教室の皆さまとの一期一会に感謝し、全20回を完走したいと思います。


レッスン風景4

 初回のお稽古は、昨年末に引き続き「薄茶平点前」でしたが、年末年始の休暇を挟んだこともあり、お点前の手順はほぼ失念。それでも優しく教えてくださる先生には感謝しかありません。一方、作法自体はなかなか上達せずとも、日々の仕事や生活の中に茶道との共通点を感じることがあり、そうした気づきを得ることも茶道の楽しさだと感じます。
 たとえば、「和敬清寂」。仕事相手にはいつも敬意を持って接すること、意見が違っても論破せず融和できるよう努めること、日々デスク周りやオフィスをきれいに保つこと。言うはやすしでまだまだ道半ばではありますが、仕事をするうえでも「和敬清寂」は大切にしたい心得だなと思う次第です。

 2回目のお稽古は「濃茶」。
 翌週に予定されている初茶会に備えて、濃茶のいただき方やお茶会での振る舞い方などを教わりました。薄茶とはまったく違うお作法でお客が複数名いる場合のそれぞれの役割など、新しく学ぶことが盛りだくさん。特に、正客の責任重大さたるや。映画『日日是好日』のお茶会の場面で、正客を譲り合う(というよりも、もはや押し付け合う?)様子が描かれていましたが、退きたくなる気持ちがよくわかりました。

 先月教わった「棗、茶杓の拝見」しかり、お茶というのは亭主がもてなすだけではなく、亭主と客、双方で作り上げる即興芸術、総合芸術だなあと感じます。ただお茶を飲みに行くだけでなく、その場に相応しい知識や心遣い、振る舞いが求められる。さらにそれらをひけらかすのではなく、ごくさりげなく行う。……と、そんなことを考えていると、自分には到底できそうになく、急に初茶会がこわくなり、思わず「お茶会、不安です…」と先生に泣きつく始末。すると「『あの人、左右を間違っているわ』なんて見ている野暮な人はいませんよ。来週はお茶を楽しんでもらう場所だから大丈夫」と明るく笑って返してくださいました。その一言で緊張がほぐれ、一気に待ち遠しくなった単純な私です。


レッスン風景3

 12月のお軸は「歳月不待人(歳月人を待たず)」でした。半年のお教室もあっという間に折り返し地点。お軸にあることばの意味や由来を教わるたびに心に響くものがありますが、“師”も生徒も皆で“走”り抜ける今月は、いつも以上に実感をもって迫ってきます。

 さて、12月はお棗とお茶杓の拝見と、丸卓を用いた薄茶の棚点前を新たに教わりました。お棗とお茶杓の拝見では、先生方がお手本として見せてくださった問答があまりにかっこよく衝撃を受けました。
上の句と下の句を詠み合う連歌のような、あうんの呼吸。亭主と客、互いの知性と敬意が、雅にぶつかり合うやりとりに感動し、心の中で拍手喝采!
ただ、見るとするとは大違い。いざ自分が亭主になると「り、り、りきゅうがた…えーっと…(先生を見つめて助けを求める)」と、しどろもどろ。自身はただただ不恰好でしたが、「この道の先にあんなにもかっこいい姿があるんだ!」と知れるお手本を拝見できただけで、このお稽古は大きな収穫でした。
 また、「銘」というのも初耳でしたが、それが付けられることで、小さな茶杓の背景にあるそれぞれの物語が立ち上がってくるようで、茶道の粋を感じました。

 そして、丸卓でのお稽古の日はクリスマスイブでした。
掛け物はクリスマスリース。花はポインセチア。お菓子もクリスマスツリーのようです。お棗とお茶碗のなんともかわいらしいこと!
 こんなにもクリスマス気分満点だとは想像もしておらず、生徒皆で感激したとともに、細やかに準備してくださった先生方のお気持ちがありがたく、教室のことをますます好きになりました。伝統を守るだけでなく、時代や環境に合わせてしなやかに変化しているからこそ500年も続く文化なのですね。この日は年内最後のお稽古でしたが、おもてなしのお心に溢れるしつらえに、明るく華やいだ気分で2022年を締めくくることができました。

 個人的な話になりますが、12月はこの茶道教室で培った新たな視点のおかげで、お教室の外でも楽しみが増えた1ヶ月でした。
そのひとつが、京都旅行の際に訪れた京都国立博物館での特別展「京に生きる文化 茶の湯」です。この教室に通っていなかったら足を運ぶこともなかったであろう展示ですが、各展示品に対しても、教室で学んだからこそより高い解像度で鑑賞できた気がします(あくまで若輩者の当社比ですが)。
「茶の湯」展の後、千利休について調べてみたり、老舗の店で干菓子を買い求めてみたり、岡倉天心の『茶の本』を手に取ってみたり。気軽な気持ちで茶道の扉をノックしたら、世界があちらこちら思いがけない方向へと広がり、少しずつ視界がひらけていくような感覚があります。


レッスン風景2

 11月は「盆略点前」のお稽古を経て、「薄茶平点前」のお稽古を3回させていただきました。3回も同じお点前を教わっているというのに、なかなか手順を覚えられませんが、先生方の丁寧なご指導と、共に励ましあえる受講者の皆さんのおかげで、なんとかこの1ヶ月も乗り切ることができた次第です。
とはいえ、毎回繰り返し行う帛紗さばきやお菓子のいただき方などは、なんとなく身体で覚えてきた感があります。ずっと同じところで足踏みをしているようで、ほんの少しは前進できているのかもしれません。そんな風に実感できるのも、月に一度こうしてモニターとしてお稽古を振り返る機会をいただけているゆえです。

 薄茶平点前のお稽古は、受講者同士で「亭主」と「正客」を交代しながら行います。実際に薄茶を点ててお菓子もいただくので、10月のお稽古からは一気に前進した気がいたします。茶碗、棗、茶杓、茶巾、茶筅、建水、柄杓などの道具の扱いと、立ち居振る舞いの一挙手一投足に細かな手順があり、覚えることも盛りだくさんです。
特に不得手な柄杓の扱いは、先生が何度も丁寧に手本を見せてくださり大変ありがたかったです。あいにく自宅にお茶のお道具はないため、代用品としてキッチンのお玉でお味噌汁を作る合間に練習をしてみますが、やはり全く勝手が違いますね。お稽古のたびにほしいものがどんどん増えていきます。

 また、お稽古の合間にお菓子やお軸、お花にまつわる解説を伺うのも、毎回の楽しみの1つです。
 11月前半は「和敬清寂(わけいせいじゃく)」。4つの漢字それぞれに意味があり、「和」=お互いに仲良く。「敬」=お互いに敬いあう。「清」=外見だけでなく心の中も清らかに。「寂」=動じない心。茶道の心を表す言葉だそうです。まだまだ未熟ではありますが、「和」と「敬」はお稽古のたびに先生はもちろん、受講者の皆さんから感じていることなので、思わず共感いたしました。
 11月後半の掛け軸は「開門落葉多(かいもんらくようおおし)」。夜通し聞こえていた雨の音、翌朝門を開けると眼前には多くの落ち葉が。夜中に聞いていたのは降りしきる落ち葉の音だった。そんな状況を描いた句の後半部分だそうで、日に日に深まる秋にぴったりです。
門を開けると以前とはまったく違う光景が目の前に広がっている。茶道の門をたたいた私ともどこかリンクしているようにも感じます。毎回驚きに満ちた新たな門扉を開けられるよう、寒さに負けず、自身の牛歩の歩みにもめげず、12月も励みたいと思います。


レッスン風景1

 森下典子さんの著作『日日是好日』を読んで以来憧れていた茶道。周りに嗜んでいる友人知人もおらず、師事先の探し方も見当がつかず、早数年。ふとwebで「初心者のための」という冠のついたこちらのお教室を見つけ、勇気を出して門戸を叩きました。

 裏千家川崎教室の午後の部は、受講者5名。お教室名のとおり、生徒の皆さんもほぼ初心者のようで、2時間のレッスン中、互いのぎこちない所作に笑い合ったり、動きを確認し合ったりするうちに少しずつ心がほぐれ、和やかな雰囲気で楽しめました。
 また、所作ができるたびに先生がたが褒めてくださるのも、やる気がみなぎりました。年齢を重ねると、仕事でも家事でも「想定の範囲」が増えて驚きは減り、「できて当たり前」が増え、褒められる機会はどうしても減ってしまうもの。こうして新たな世界に触れ、しかも褒めていただける機会があるのは、大人の習いごとの愉しみの1つですね。

※コロナ対策のためケースごとのせています

 初回は、簡単な自己紹介のあと基本的な所作を教えていただきました。お菓子の銘は「梢の秋(こずえのあき)」。レッスンの終盤ということもあり、お菓子を食べている時が最も笑顔の多かったひとときだったように思います。
 お茶を点てるのはまったくの初めてでうまく泡立たず、先生に助けていただき完成。苦いのかなと思いきや苦味はほとんどありません。香りとうまみが濃厚でおいしかったです。

 印象に残ったこととしては、席入りの際ににじって入室することです。この「にじり」という動きが、茶道独特の美意識を感じさせるとともに、お茶室へ入る秘密のルールのようにも感じられて個人的にとても面白かったです。今日、私はにじりを覚えたので、ぶじ茶道への通行許可をいただいた。そんな気がして、心のうちでさらに愉しい気持ちになりました。
 また、お点前以上に憧れていた所作、それが帛紗さばきでした。先述した『日日是好日』の中に出てくる、帛紗でポン!と空を打つ「ちり打ち」が玄人っぽくてかっこよく、憧れていたのですが、あちらは表千家で、こちらは裏千家。裏千家の帛紗さばきにはちり打ちがないのですね。とはいえ手品師のようになめらかな動きは流派を超えて同じ。もちろん先生のように美しくはありませんが、見よう見まねで指先をカクカクと動かし、なんとか畳めただけでも感激しました。
 服装についての規定は「白い靴下を履く」のみでしたが、やはり茶道には和装の方が相応しいことを実感しました。というのも、ただ、1畳を4歩で歩く、にじって前へと進む、といった茶道の所作は、着物姿でこそ美しく自然に見えるものだと、着物姿の先生方の立ち居振る舞いを拝見しながら気づいたからです。せっかくの機会ですし、より深く楽しむためにも、全20回のお稽古の中で一度くらいは和装で参加してみたいなぁと思います。

 レッスンの締めに、先生が「半年はあっという間ですよ」とおっしゃっていましたが、私もそんな予感がします。
 初回のお軸は「白珪尚可磨(はっけいなおみがくべし)」。完璧な白い玉であっても、なお一層磨きなさい、これ以上磨きようがないと思っても磨き、努力しなさいという意味だそうです。これからお稽古を始める私たちを励ましてくださる先生のお気持ちが伝わると同時に、茶の道の深淵を垣間見た気もして、気持ちが引き締まります。わずかな期間ですが、自身の玉を「白珪」へと磨いていけるよう、毎回謙虚な心で精進してまいります。


レッスン風景一覧へ戻る