レッスン風景

サントリー美術館教室


レッスン風景2

 早いもので、受講生が皆一緒になって、帛紗捌きや棗、茶杓、茶碗の清め方等を稽古してまいりましたが、それも終了です。盆略点前から、運びの薄茶点前の稽古になりました。自分の番が回ってくると、否が応でも心臓の鼓動が鳴り響き、緊張感が高まります。5月のころは、帛紗の扱い方で、四苦八苦したのも嘘のよう、場数を踏んだのが功を奏したのか、先生からも、「皆さん、しっかりと、帛紗捌きを出来るようになって。」と、ありがたいお言葉を頂戴いたしました。

 でも、ぬか喜びは早計です。難関なのは、とくに柄杓の扱いです。今まで、このような持ち方、経験したことがありません。使い慣れていないので、手も震えて、落としそうになりますし、すんなりとうまくいきません。いつも頭をよぎるのは、何故3種類もの扱い方があるのかということでした。先生から、そのヒントを教えて頂きました。それは、茶道と弓道との関わりです。両者はともに長い歴史を有し、厳しい作法が現代に伝承されていますが、茶道の作法のうち、とりわけ柄杓の扱い方に弓道との関連性が見られるのだそうです。そのお話を聞いて、今までの疑問も解消されました。

 今日の色紙は「雲収山嶽青」。「雲収まりて山岳青し」。雲が収まり、青々とした山がみえる。 解釈すると、心の曇りが晴れ、本来の姿が現れてくるという意味だそうです。そして、お花とお菓子はアジサイでした。お稽古の緊張感をほぐしてくれて、更に、梅雨のせいで滅入った気分を一気に明るくしてくれる不思議な力を秘めていると感じました。

 最後に、先生から、貴重なことを教えて頂きました。千利休の孫、千宗旦の言葉に「茶の湯とは 心に伝え 目に伝え 耳に伝えて 一筆もなし」というものがあるのだそうです。教則本を見て頭で覚えるのではなく、先生から直接習い、人の点前を見て学ぶ。見よう見まねでどんどん吸収して自分のものにしていくのがベスト。一日のお稽古で、様々なことを学ぶけれど、すぐに覚えよう覚えようと思わず、忘れてもいい、何回でも、繰り返して、自然に振舞えるようになることが重要なのだそうです。どんな道も素直な気持ちが上達の秘訣だと言われているように、あれこれ考えずに今していることに集中すればそれで良いのだそうです。どのお稽古もその時しか経験できません。このことをいつも心に留めておいて、これからも励みたいと考えております。


レッスン風景1

 私たちの学びの場は、サントリー美術館「玄鳥庵」。四畳半の茶室には、お茶室特有の小さな出入口、にじり口が設えてあります。
 開講のご挨拶が行われ、今日のお稽古の内容が紹介されました。

 最初は、基本の作法を習います。「おじぎの仕方」「畳の歩き方」「ふすまの開け方・閉め方」。ここで「真・行・草」という3種類のおじぎの仕方を教えていただきました。このような敬意の表し方は、茶道だけではなく、日常生活でも使えると感じました。昨今、畳の無い家も多いかと思いますが、「畳のへりを踏んではいけない」ということも、例えば、誰かの家に招かれたときに、相手に失礼のない振る舞いを心がける上で、大切なことだと考えます。
 今まで、このような和室での振る舞いという視点が欠落しておりました。そして、笑顔でお話しする先生のお言葉と、正座のしびれを気にしてくださるお気遣いに、少しずつリラックス感が増していきました。

 次に、お稽古で必要なものの説明が行われました。中でも扇子は、「結界」として使い、相手を敬うものと聞いて驚きました。帛紗さばきの稽古では初めて手にする帛紗に四苦八苦しました。にじり口を使った席入りの仕方は最初に先生が実演され、見よう見まねで続きます。「にじる」とは、正座をしたまま体を前に進める日本らしい動きですが、現代ではほとんど見られることはない動きのため、戸惑いました。
 最後は、先生が亭主となり、お点前をしていただきました。平点前という基本のお点前だそうです。私にとって、久々の和菓子は、とてもおいしくいただきました。
 楽しみにしていた教室でも、いざ当日を迎えると極度の緊張と不安でしたが、今まで抱いていた緊張感が、どっと解放された感じでした。

 初回を終えた感想として「茶道の稽古」とは、今までの生活を振り返ってみて、もう少し、自分の行いを律したり、丁寧な所作に改めたりするという効果があるのではと感じました。
 また「知っている」ということと「できる」ということが違うということを思い知らされました。これからは、習ったことを、日々の生活に取り入れて、過ごしていこうと考えております。
 長かったようで、短くも感じられた初回、先生方には、一人一人に細やかな気遣いをしていただき、感謝の念に堪えません。どうも、ありがとうございました。


レッスン風景一覧へ戻る