レッスン風景

グランドプリンスホテル新高輪教室


レッスン風景5

 残暑が続く中でも、レッスンは終盤。これまでに引き続き、好更棚や丸卓を使った薄茶のお稽古が続きましたが、お濃茶のいただき方のさわりの部分も教えていただきました。最初は講師の方々に教えていただくままに手を動かしていましたが、半年経って受講者全員がとてもスムーズにお点前ができるようになりました。

 しかしながら、お茶碗が夏らしいものになり形が変わると、少しだけお茶碗を扱う手も変わるので、手順を覚えるだけでなく、目の前のお客様を精一杯もてなす意識を忘れてはならないのだなと思いました。

 レッスン最終日にはお茶会と許状授与式がありました。

お仕事の都合で参加できなかった方もおられ、いつもよりも人数が少なかったことは残念でしたが、緊張感あるお茶会の雰囲気を体験し、千利休の掛け軸の前で許状をいただき、お茶の道の入り口にようやく立つことができました。

 10月以降、それぞれの事情に合わせてお茶を続けることになります。最後のお稽古の掛け軸は「安分以養福(ぶんをあんじもってふくをやしなう)」でした。自分が何者であるかを知り、この世で自分の為すべきことをわきまえておけば道が開けて幸福になる、という意味だそうです。言葉の意味はとても難しく感じますが、お茶を通じて考えさせられることも多かった半年間だったように思います。


レッスン風景4

 今月は棚(丸卓、更好棚)を使った薄茶のお稽古がメインとなりました。

 丸卓と更好棚で基本的な所作は同じ部分も多いのですが、若干異なる所作をすることもあり、覚えるのに四苦八苦しています。また一つ一つの動作が徐々に早くなると同時に、4~5月にお稽古で習った帛紗の捌き方や棗・茶杓の持ち方などの基本動作がきちんとしていると所作が美しく見え、改めて基本が大事なのだなと感じます。棚にお棗や柄杓をきれいに飾ることができるとまたお茶の席の雰囲気も変わる気がします。

 茶菓子は涼しげな「銀河」、お花は槿やリンドウなど、色彩が鮮やかです。

 お稽古は今月で後半に突入し、お茶も最初の時より香りが立つようになりました。お棗、お茶杓の拝見にも慣れてきましたが、引き続き何のための所作なのかを考えながらお稽古に励みたいと思います。


レッスン風景3

 本格的な梅雨のシーズンに入った今月。雨が激しく降る日もありましたが、先月に引き続き、運びの薄茶のお稽古やお客様のお稽古に励みました。

 今月新しく追加されたのは、お茶杓とお棗の拝見と棚。棗の種類やお塗、お茶杓のお作や銘などのやり取りに最初は緊張しつつも、回数を重ねるごとに少しずつ慣れてきました。特にお茶杓のご銘は、今月であれば「雨宿り」「芦笛」「露草」など、月ごとに季節に合わせた言葉が使われ、額紫陽花や桔梗などの床の間のお花やお菓子と合わせて季節が感じられます。

 運びの薄茶点前のお稽古は、切り柄杓、置き柄杓、引き柄杓、拝見の際の棗と茶杓の清め方や置き方など、流れの中で自分がいま何をしているのかを意識ながら覚えていきたいと思います。


レッスン風景2

 ゴールデンウイークを挟み、久しぶりのレッスンに記憶が飛んでしまいながらも、足運び、帛紗のさばき方、盆略点前なども皆少しずつ慣れてきました。

 八十八夜が過ぎ、お茶室も夏の装いになる時期に入りましたので、床の間のお花も籠に入れられ、冬の間に使われていた炉をふさぎ、風炉と呼ばれるものの上に釜を置いて、薄茶点前のお稽古が始まりました。盆略点前で登場した棗、茶杓、茶巾、茶筅、茶碗に加えて、風炉、柄杓、蓋置、水指、建水などの道具が増え、覚えることが多くなりましたが、お客様から見て綺麗に(帛紗を)捌くことができるように、という気遣いをところどころに散りばめられていかなければと感じます。

 手の位置や道具の方向など、注意深く覚えていかなくてはならない緊張感もありますが、この時期らしい爽やかな色彩のお菓子も美味しくいただきつつ、お茶室の時間を楽しみながらお稽古に励みたいと思います。



レッスン風景1

 初回のレッスンで少し緊張しながらお茶室へ。床の間に掛けられた掛軸と茶花について、講師の方からご説明いただきました。掛軸は「喫茶去」。難しいことは抜きに、まずは一杯お茶でも飲みましょう、といった気さくさと、その言葉の背景にある奥の深さを表している言葉だそうです。茶花は「鯛釣り草」と「都忘れ」で、白と紫と葉の緑が素敵でした。

 複数のグループに分かれ、襖の開け閉めの仕方、立ち方や足さばき、お辞儀(真・行・草)の仕方、扇子、懐紙、帛紗の使い方などの所作を一通り教えていただきました。
 レッスンの後半では、実際にお抹茶を点てて味わう機会がありました。お菓子をいただく際には、隣の方に「お先に」と一声かけ、お箸の持ち方、お皿の動かし方も一つ一つが美しく、単なる形式などではなく他の方への気遣いのこもった所作なのだということが分かりました。体が覚えるまでにはまだ練習が必要ですが、これからのレッスンが楽しみです。