圓能斎鉄中宗室居士・黙庵宗綱大姉百回忌法要

宗家暦

 令和5年8月5日(土)、大徳寺聚光院において、裏千家十三代 圓能斎夫妻の百回忌法要が執り行われました。

 圓能斎鉄中宗室居士(1872~1924)は、明治22年、18歳で家元を継承し、その年に摂津三田九鬼男爵家の叔父 九鬼隆恭の長女 綱子(宗綱)と結婚。以来、利休居士をはじめ歴代宗匠の年忌法要・茶会を催すなど、裏千家茶道の発展と普及に尽力されました。明治41年には、三代宗旦居士の二百五十回忌を記念して「今日庵月報」を創刊し、出版を通じた茶道の振興にも努められました。

 また、学校茶道に重きを置き、その指導者のための「茶道夏季講習会」を開催。今日まで112年間継続されています。さらに茶道を教育の現場で生かせるよう「盆略点前」を創案されました。明治末には、衛生観念が高まる時代の流れを受け、濃茶の回し飲みを避けるための「各服点」を考案されるなど、近代茶道界において先駆的な役割を果たされました。

 午前10時より本堂において法要が営まれ、千 玄室大宗匠、千 宗室家元夫妻、千 宗史若宗匠、親族方をはじめ、今日庵老分や淡交会役員、裏千家同門社中代表など、約70名が参列しました。はじめに、家元が「お茶湯の儀」を厳修され、続いて聚光院住職の小野澤虎洞師を導師に読経がなされ、参列者は圓能斎夫妻の遺徳を偲んで静かに合掌しました。

 法要後、家元は「同じ申年の曾祖父に稽古をつけていただいているつもりでお茶湯をさせていただきました。曾祖父考案の各服点でコロナ禍を乗り切ることができました。大切に次の世代へ伝えていきたい」と挨拶。大宗匠は「100歳で祖父の百回忌を迎えることができ有り難いことです」と感謝の言葉を述べられました。

 なお、追善茶会として山内に今日庵席と業躰席が設けられ、法要参列者を含む約110名が参会しました。

今日庵席(於 聚光院)

閑隠席の床
圓能斎作 銘教外

業躰席(於 三玄院)

点前座