六閑斎泰叟宗安宗室居士三百回忌・認得斎柏叟宗室居士二百回忌法要

令和7年8月26日(火)、大徳寺聚光院において、裏千家六代六閑斎泰叟宗安宗室居士の三百回忌と、十代認得斎柏叟宗室居士の二百回忌法要が営まれました。
六閑斎は、宝永元年(1704)に父不休斎常叟宗室を亡くし、11歳で家督を継承。加賀前田藩や伊予松山藩に出仕するなど茶の湯の啓蒙に努められ、茶陶や文芸においても才能を発揮されました。享保11年(1726)、参勤交代の随行で訪れた江戸で客死し、33歳の生涯を終えられました。
認得斎は、九代不見斎石翁宗室の長男として明和7年(1770)に誕生。32歳で家督を継承し、大名家への出仕に加え、各地の役人や商人との交流を通じて茶の湯の発展に尽くされました。新しい時代へ向けて裏千家茶道の礎を築かれ、文政9年(1826)、57歳で生涯を閉じられました。

法要は午前10時から営まれ、千 宗室家元夫妻、千 宗史若宗匠をはじめ親族方、今日庵ならびに淡交会役員、同門社中代表など約120名が参列。法要に先立ち、若宗匠が利休居士に一盌を献じた後、家元によるお茶湯の儀が厳修されました。続いて、聚光院住職の小野澤虎洞師を導師に読経がなされ、一同は静かに合掌し、両宗匠の遺徳を偲びました。
法要後、家元は両宗匠の足跡に触れ、「今日までこうして利休さまの茶の湯をつないでこられたのも両家元のおかげと存じます」と述べ、最後に、「このたびの法要には鵬雲斎宗匠も出席するつもりでおりましたので、今頃あの世から手を合わせているでしょう」と挨拶をされました。
なお、追善茶会として聚光院に今日庵席、三玄院に業躰席が設けられました。
◇今日庵席(於 聚光院)

六閑斎筆 誠意

追銘 門外不出 不見斎箱書



◇業躰席(於 三玄院)


