利休道歌りきゅうどうか

 「利休道歌りきゅうどうか」は「利休百首りきゅうひゃくしゅ」ともいって、千利休せんのりきゅうの教えをはじめての人にもわかりやすく、おぼえやすいように、和歌の形にしたものです。

その道に入らんと思心こそ我身わがみながらの師匠ししょうなりけれ

 この歌は、利休道歌りきゅうどうかのはじめにまれており、学ぶ者の心構こころがまえを教えています。それは茶道に限らず、学ぼうとする気持ちをしっかりと持つことが大切であり、自分で学ぼうとする心こそが上達じょうたつへの第一歩であるということを示しています。

茶の湯とはただ湯をわかし茶をててのむばかりなることと知るべし

 この歌は、茶の湯は決してむずかしいものではなく、お湯をわかしてお茶をて、まず神仏しんぶつに供え、お客様に差しあげ、そして自分もいただくという、日常生活をもとにしていることを教えています。このように「利休道歌りきゅうどうか」の一つ一つにうたわれている茶の湯の心をしっかりと受けとめ、学校や家庭での生活に生かしましょう。

四規しき和敬清寂わけいせいじゃく

 この4つの文字の中には、すべてのお茶の心がこめられているといわれています。
 「」とは、お互いに心を開いて仲良くするということです。
 「けい」とは、尊敬そんけいの敬で、お互いにうやまいあうという意味です。
 「せい」とは、きよらかという意味ですが、目に見えるだけの清らかさではなく、心の中も清らかであるということです。
 「じゃく」とは、どんなときにも動じない心です。
 お茶を飲むとき、お点前てまえをするとき、また、お客様になったとき、お招まねきしたときなどに、この「和敬清寂わけいせいじゃく」ということばを思い出し、おけいこにはげみましょう。

利休七則りきゅうしちそく

 茶は服ふくのよきように、すみは湯のくように、夏はすずしく冬はあたたかに、花は野にあるように、刻限は早めに、らずとも雨の用意、相客あいきゃくに心せよ。

こんなお話があります

 このことばは、千利休せんのりきゅうがある弟子でしから「茶の湯とはどのようなものですか」とたずねられたときの答えでした。そのとき弟子でしは「それくらいのことなら私もよく知っています」といいますと、利休りきゅうは「もしこれができたら、私はあなたの弟子でしになりましょう」といったそうです。

茶はふくのよきようにて ―心をこめる―

 「お茶は心をこめて、おいしく点てましょう」という意味です。「ふくのよきように」というのは、したの先でおいしいと感じることだけでなく、一生懸命けんめいに点てたお茶を客がその気持ちも味わっていただくという、主と客との心の一体感を意味しています。

すみは湯のくように ―本質を見極みきわめる

 すみに火をつけさえすれば必ずお湯がわくとは限りません。湯がよくわくように火をおこすには、上手じょうずすみのつぎ方があります。しかし、そのつぎ方を形式だけでのみこんだのでは火はつきません。本質をよく見極みきわめることが大切です。

花は野にあるように ―いのちをとうと

 「花は自然に入れなさい」ということですが、「自然そのままに」再現するというのではなく、一輪りんの花に、野に咲く花の美しさと自然から与えられたいのちの尊さを盛りこもうとすることに真の意味があります。

夏はすずしく、冬はあたたかに ―季節感きせつかんをもつ―

 茶道では季節感きせつかんを大事にし、表現します。夏ならば床に「涼一味りょういちみ」などのことばをかけたり、冬ならば蒸したての温かいお菓子を出すなど、自然の中に自分をとけこませるような工夫をします。

刻限こくげんは早めに ―心にゆとりを持つ―

 「時間はゆとりを持って早めに」ということですが、ゆとりとは時間を尊重そんちょうすることです。自分がゆったりした気持ちになるだけでなく、相手の時間を大切にすることにもなります。そのときはじめて、主と客が心をひらいて向かいあうことができます。

らずとも雨の用意 ―やわらかい心を持つ―

 「どんなときにも落ちついて行動できる心の準備と実際の用意をいつもすること」が茶道をする人の心がけであることをいおうとしています。どんなときにも「適切てきせつに場に応じられる」自由で素直すなおな心を持つことが大切です。

相客あいきゃくに心せよ ―たがいに尊重そんちょうしあう―

 「相客」というのは、いっしょに客になった人たちのことです。正客しょうきゃくの座にすわっている人も末客まっきゃくの席にいる人も、おたがいを尊重そんちょうしあい、楽しいひとときを過ごすようにしなさいと利休りきゅういています。