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嚴島神社献茶式


世界文化遺産嚴島神社入口 献茶式(能舞台)




立礼席(客神社祓殿)から廻廊を望む 拝服席(本社祓殿)


舞楽奉納  蘭陵王 左方舞(一人舞)

  舞楽とは、昔、中国・インドなどから伝わってきた音楽と舞のことです。日本には、聖徳太子が推古天皇(593〜628)の時代に大阪の四天王寺に楽所をつくって、楽人を養成したのが始まりです。このようにして伝えられてきた舞楽は、もっぱらお寺の行事に使われてきましたが、後には神社にも使われるようになり、宮廷の儀式や、公卿などの遊びに用いられ、我が国でも新しく舞楽を作るようになり、現在まで滅びることなく伝えられていますが、発祥した国々では既に滅びてしまっています。
  嚴島神社の舞楽は、平清盛が久安2年(1146)に安芸の守(現在の広島県知事のような職)時代に平家の守護神として嚴島神社を信仰して社殿を改築し、京都文化の一つである舞楽を、大阪の四天王寺から嚴島に移して楽所をつくったのが最初です。後生大内家や毛利家、浅野家の保護を受けて戦乱の世にも絶えることなく伝承されて現在に至っています。
  (らん)(りょう)(おう)は、陵王ともいいます。今から1400年程前、中国に(ほく)(せい)という国があり、そこの王に蘭陵王(ちょう)(きょう)という人がいました。王は才知に優れ、また武勇も優れた人でしたが、顔が大変やさしくきれいで、部下がみとれるほどの美貌であったため、味方の士気を高めるため(どう)(もう)な仮面をつけて指揮をとったところ、(きん)(よう)(じょう)での戦いにおいて見事大勝利をおさめ、次々と勝利をものにしていったので、これを喜んだ部下たちがこの舞曲をつくったのが由来とされます。
  (りゅう)(てき)の音頭で舞が始まり、(しょう)(ひち)(りき)(かっ)()、太鼓の楽器で舞われていきます。この舞は古くより、めでたいときに演奏されています。
舞楽奉納(高舞台)





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