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第107号(令和2年6月15日配信) |
------------------------------------------------- 『新たな取り組み』 伊住禮次朗 ------------------------------------------------- |
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緊急事態宣言が解除され、街中にも少しずつ人が戻っているようです。しばらくは、コロナウイルスとうまく距離をとりながら共生する新しい生活様式が続きますね。 茶道資料館では、春季特別展が来春に延期。次の企画展は秋を待つことになり、しばらくは静かな状況が続きそうです。その代わりというわけではありませんが、新しい取り組みも始めています。最新情報をすみやかにお知らせするべく、三月には茶道資料館の公式Twitterアカウントを開設いたしました。現在は、作品解説などを行う動画の配信なども検討中です。芸術や文化は心に潤いをもたらすもの。茶道資料館もその一助となるべく、様々なツールを有効活用できるように検討したいと考えております。ご期待ください。 |
------------------------------------------------- 茶の湯トリビア ------------------------------------------------- |
今回は3級と4級の茶の歴史から千利休に関する出題です。千利休は、珠光(しゅこう)や紹鴎(じょうおう)の精神を引き継ぎ、わび茶を確立しました。出題は『茶道文化検定』3級、4級の問題集からです。 問1 千利休の出身地はどこですか。(4級) @江戸 A京都 B堺 C博多 問2 千利休が茶の湯を学んだ人物は誰ですか。(3級) @神屋宗湛(かみやそうたん) A北向道陳(きたむきどうちん) B十四屋宗伍(じゅうしやそうご) C竹蔵屋紹滴(たけくらやじょうてき) |
------------------------------------------------- 「茶の湯トリビア」解答と解説 ------------------------------------------------- |
問1 解答:B堺 千利休(宗易)の出身地、堺(大阪府)は勘合貿易(かんごうぼうえき)に携わることにより急激に成長した新興都市でした。利休は堺の納屋衆(なやしゅう)(倉庫業者)で、自治をつかさどった会合衆(かいごうしゅう)の一人でした。織田信長により堺が支配されると、今井宗久(いまいそうきゅう)、津田宗及(つだそうぎゅう)に次いで信長の茶頭(茶堂)となり、信長歿後は引続き豊臣秀吉の茶頭として重きをなし、「内々の儀は宗易に」といわれるほどになりました。 |
問2 解答:A北向道陳 北向道陳は現在の地名でいうと大阪・堺の人物でした。家が北向きであったため「北向」と名乗ったといいます。一般的に武野紹鴎が千利休の茶の師匠だと認識されていますが、実は最初の師匠は道陳です。道陳の次に堺と京都に拠点があった辻玄哉に学んだともいわれ、利休と紹鴎の子弟関係は必ずしも明確なものではありません。 |
ご不明な点は「茶道文化検定」の各級テキスト、および問題集をご覧ください。 |