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第101号(令和元年12月16日配信) |
------------------------------------------------- 『じゅうよんふくめ』 千 敬史 ------------------------------------------------- |
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(写真:茶道裏千家淡交会 令和元年度全国役員懇話会にて) |
師走を迎えてめっきりと寒くなり、正月準備のための事始めの日を迎えました。我が家では当たり前のように毎年行っていることや存在している慣習が多々ありますが、果たして現代的に見てそれらはいわゆる「普通」なのかと思うことはよくあります。もちろん普通じゃないから嫌な訳でもないし、そもそも普通とはなんぞやという話はいたしませんが、我が家の「普通」を身近故に客観で見ることのできるように、そして世間の「普通」を他人事ではなくある意味主観で見ることのできるように生きていきたいと思っています。 また来年も様々な場所でお会いできることを楽しみにしています。今年も1年ありがとうございました! |
------------------------------------------------- 茶人の逸話:小林逸翁 ------------------------------------------------- |
阪急・東宝グループの創設者である小林逸翁(いつおう)は山梨県出身。本名は一三(いちぞう)。慶應義塾卒業後、三井銀行に入り大阪支店勤務を命ぜられます。赴任した大阪支店の支店長が高橋箒庵で、その仕事ぶりといえばただ手紙を書き、東京の本店に経済市況を報告するだけ。それが終わればまだ明るいうちから花街へ繰り出すという始末でしたが、この箒庵のおかげで後の大数寄者 小林逸翁が生まれます。抵当流れで支店の土蔵にしまい込まれていた長田家の道具を見た箒庵が、売却するよりも三井十一家で分配するほうが良いと判断し、その整理作業を若き日の逸翁に手伝わせたことがきっかけで、逸翁は茶の湯と道具に開眼したのです。 昭和6年12月24日、逸翁は東京の永田町にある新宅の二畳台目の茶室に高橋箒庵、仰木魯堂夫妻などを招きました。床には三十数年前に逸翁に宛てた箒庵の手紙が表装されて掛けられていました。その手紙は、逸翁から恩人の岩下清周が設立した北浜銀行へ移ることについて相談を受けた箒庵が、三井に留まるようにと説得したものでした。後年、北浜銀行は破綻しますが、この箒庵の手紙によって逸翁は救われたわけです。この恩義に報いるための茶会でした。 |