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第100号(令和元年11月18日配信)

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『清涼剤』 伊住 宗陽
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(写真:有馬善福寺献茶式茶席にて)

  こんにちは!
  立冬から小雪へと、いよいよ冬の気配が本格化しだすこの時期。
  宗家の開炉も滞りなく済みまして、新しい年の足音も一歩ずつ聞こえ出しました。
  私は10月後半から11月頭にかけまして、集中してあちらこちらに行かせていただく事が多くございました。
  新潟に始まり、松山、大阪、兵庫、広島、東京。
  各地へお伺いするのも大事な務め。
  出張前は子供たちから『また来てね』といわれる始末。
  でも帰ると飛びついてきてくれる子供たち。
  忙しい中にも子供との何気ない触れ合いが私の清涼剤です。
  皆さんも年末に向けて何かとお忙しい日々をお送りかと思います。
  人それぞれある、一服の清涼剤でパワーをチャージして元気に越年される事を祈念しております。
  私が担当する配信は年内最後です。一年間今年も有難うございました。

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茶人の逸話:松永耳庵
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  松永耳庵(じあん)は、長崎県壱岐生まれ、慶応義塾出身。本名安左エ門。福博電気鉄道の設立にかかわり、それより九州電灯鉄道、東邦電力を統率して電力界に重きをなします。アジア・太平洋戦争後は電力界の再編成に手腕を発揮し、「電力の鬼」の異名をとりました。「耳庵」の号は、60歳になってから茶の湯を本格的にはじめたため、「耳順(60歳)」に因んだもの。財界有数の美術品コレクターで、そのコレクションは東京国立博物館、福岡市美術館に寄贈されました。
  耳庵は昭和12年(1937)1月7日、静岡県の熱海十国峠をのぞむあたりに設けた「十国庵」という茶室で新年の茶会を開きます。その茶会には高橋箒庵・田中親美・仰木魯堂夫妻などを招きました。懐石は型式にとらわれず珍品が亭主蒐集の珍器の食器、酒器とともに出され、連客一同の食欲を大いにそそりました。また、薄茶席で使われた一閑黒塗の茶器は、蓋表に朱漆で太閤桐が描かれたものでした。ところがそれは連客のある道具商の別荘から耳庵が勝手に持ち出したことが判明。さあ連客一同からは面白い銘をつけよと要求が出され、太閤桐から石川五右衛門が連想されるという理由で、箒庵が銘を「五右衛門」とし、一同の賛同を得たそうです。


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