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第98号(令和元年9月17日配信) |
------------------------------------------------- 『じゅうさんふくめ』 千 敬史 ------------------------------------------------- |
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(写真:青年部中部中国ブロック50周年記念大会にて) |
まだまだ暑い日が続いております。夏は大変暑く冬は大変寒い京都で鍛えられている故に私は元気です。如何お過ごしでしょうか。 残暑というと、皆さんは何月頃を想像されるでしょう。私は夏が終わり秋に入ってもなお残る暑さ、すなわち9月頃をなんとなくイメージしますが、その実、残暑とは8月8日頃の立秋の日以後の暑さのことを言うらしいです。8月8日は現代的には完全に夏真っ盛りですが、二十四節気であるとか、旧暦であるとか、そういったものと縁が深いのが茶道の特徴です。平成生まれの新人類だった私でしたが、令和という新時代になったのをきっかけに、古くより伝わる概念をより学んでいかねばと改めて感じる残暑厳しい今日この頃でした。 |
------------------------------------------------- 茶人の逸話:野村得庵 ------------------------------------------------- |
大阪出身の実業家、二代目野村徳七、号は得庵(とくあん)は、野村證券を起こし、さらに銀行経営・生命保険事業にも手を広げ、野村東印度殖産を設立してインドネシアなどで農場経営も展開、野村財閥を打ち立てます。そして京都東山の南禅寺の旧塔頭跡地に大正7年から11年の歳月をかけて、のちに近代の名園といわれた「碧雲荘」を築き上げました。茶の湯は藪内節庵につき、昭和5年(1930)には藪内流免許皆伝血誓神文を受けたほどでした。 この碧雲荘は、得庵みずから現地に住み、造庭の陣頭指揮を取り、小川治兵衛(植治)などの作庭家を使い、琵琶湖疎水から水を引き込み、園地の半分は池にするという広壮なもの。園内の数寄屋建築群は、数寄屋大工の北村捨次郎に思う存分の仕事をさせた名建築。その広さは17300平方メートル、甲子園球場のグラウンドの面積が約13000平方メートル、つまり甲子園のグラウンドがすっぽり入ってしまう広さ。 ここに昭和4年5月、前年の昭和天皇の即位の際、久邇宮家の宿所に充てられたことを記念して東京から高橋箒庵、益田多喜子ら、金沢から越沢宗見などの茶人が招待され大茶会が催され、箒庵は「一幅の絵巻物を観るの心地」とその印象を述べています。 |