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第94号(令和元年5月15日配信) |
------------------------------------------------- 『且坐喫茶』 伊住 宗陽 ------------------------------------------------- |
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(写真:三輪明神広島分祠献茶式にて) |
こんにちは! 毎日、汗ばむ陽気が続いていますね。 多い方で最大10連休という超大型連休の中、令和の時代を迎えました。 ギリギリ昭和世代の私。 新しい時代に自分自身願うのは、技術の発達と引き換えに失った『心の余裕』を取り戻したいなということです。 例えば、LINEなどSNSは便利なのですが、どこにいても何かしらの連絡に常に追われているような気がしてなりません。 こんな時代だからこそ、茶道が『心の余裕』を育む。そんなホッとする文化であり続けたいですね。 昭和、平成を経て、令和の時代は果たしてどんな新しい歴史を紡いでいくのでしょうか。 |
------------------------------------------------- 茶人の逸話:村山玄庵 ------------------------------------------------- |
上野是庵の項(昨年8月号)でも触れましたが、朝日新聞の2つの社主家の創始者上野是庵と村山龍平は2人とも美術に理解が深く、また数寄者でもありした。龍平は号を玄庵(げんあん)、または香雪(こうせつ)と称しました。 さて、この玄庵、近代数寄者の中では先輩格でした。あるとき、当時の若手の数寄者藤原銀次郎が玄庵を訪ねてきました。この藤原銀次郎は、慶応義塾卒業後「松江日報」、「三井銀行」を経て三井系の「王子製紙」に入り、以後実業界では製紙王の名を得るようになります。益田鈍翁の勧めで茶の湯を趣味とし、暁雲(ぎょううん)と号し、多くの名物道具を所蔵しました。その暁雲に玄庵が言うには、「近頃の道具の値段は常識を離れている。どこの馬鹿か知らないが火箸に200円(うどん一杯10銭)も出した者がいる」と。実はその馬鹿こそ暁雲自身でしたが、知らん顔をして、「ところであなたは火箸をいくらで買ったのですか」と尋ねます。すると玄庵は、「名品中の名品でもだいたい50円だった」と言うではありませんか。これには暁雲も何も言えなかったそうです。玄庵の時代はまだ道具も安く良い時代だったのですね。 |