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第90号(平成31年1月16日配信)

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『平成の御代』 伊住禮次朗
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(写真:平成最後の今日庵初釜式にて)

  新年明けましておめでとうございます。
  昨年は、淡交会の各支部・青年部をはじめ、経済関係の団体に至るまで様々な場所でお話しさせていただく機会を数多く頂戴しました。旧年中、お世話になった関係者の皆さまに心より感謝申し上げます。   自分の意図する話を正しく伝えることの難しさを痛感し続けて参りましたが、聞いていただく方々に応じてお話しをさせていただく余裕も少しだけ出てきたように思います。平成の御代と共にあった平成元年生まれの私も、じきに三十歳。孔子曰く「三十而立(三十にして立つ)」の年齢になります。いまだヨチヨチ歩きですが、これまで学んできたことを自分の言葉としてお話しする中で、少しずつ考えを整理しながら、地に足をつけて一歩一歩進んで参る所存です。   皆さまにおかれましては、相変わりませずご指導ご鞭撻のほど、何卒宜しくお願い申し上げます。

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茶人の逸話:石黒况翁
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  石黒况翁(いしぐろきょうおう)は本名を忠悳(ただのり)、福島県の出身。
  陸軍の軍医として軍医制度を整え、功績により明治23年(1890)陸軍軍医総監(中将に相当)となります。况翁は遠州流の赤塚宗輯に茶と茶器鑑定を学び、茶器鑑定の書『好求録』を出版しています。師の赤塚は、赤貧洗うがごとしという生活でも月釜を欠かさなかったという茶人でした。
  大正2年(1913)4月23日、况翁は前年9月13日に明治天皇に殉死した戦友乃木希典(のぎまれすけ)大将追善茶会を催しました。場所は東京牛込(現在の新宿区)にある况翁の本宅の茶席「帰雲亭」です。床には大徳寺開山の宗峰妙超筆の「白雲集切」の一軸が掛けられました。「白雲集」は中国・元時代の詩集で、120首あり、况翁はそのうち「山中春日書懐」はじめ3首を所持していました。茶人垂涎の名幅で、况翁はこれを明治3年、九州・壱岐の古物店で掘り出しました。値切ろうと思いましたが、このような名幅を値切るのは、茶人の道に外れると思い、言い値で買い取りました。値切らない客に店主も感じる所があったのでしょう。はずしておいた牙軸を差し出し、完全な一幅として况翁に渡したそうです。


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