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第89号(平成30年12月17日配信)

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『じゅっぷくめ』 千 敬史
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(写真:みどり会クリスマス茶会にて)

  寒さと共に忘年会シーズンがやってきました。その年の苦労を忘れるために開催される宴会ということで日本ではおなじみの文化ですが、その実はただ皆で集まって飲むための大義名分であることが多いように思います。年末の慣習であるという「理屈」(理屈なのか?)、そしてただ集まって飲みたいだけという「感情」が混在しがちな行事だけに、特に世代間でのギャップが生じやすいのかなぁとも。急速な時代の変化云々と言われている昨今ですから俯瞰して物事を見るということの大事さを改めて感じます。ちなみに私は忘年会大好きです。
  今年も様々な場所で皆様にお世話になり誠にありがとうございました。来年も相変わりませず宜しくお願い申し上げます。

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茶人の逸話:根津青山
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  根津青山(せいざん)は名を嘉一郎、山梨県の豪農の家に生まれ、政界に進出しますが、後に東武鉄道の経営にあたるなどして、根津財閥を築き上げました。明治39年(1906)の大阪平瀬家の第3回入札会で「花白河蒔絵硯箱」を16,500円(うどん一杯2銭の時代)という破格の値段で落札したように、古美術品のコレクターとしても知られ、コレクションは根津美術館に結実しました。茶の湯の指南役は、高橋箒庵(メルマガ第84号掲載)がなります。
  青山はよく歳暮の茶会を催しましたが、ある年の歳暮のこと、初会に招かれた箒庵が、床の間に飾られた信楽の大壺を見て、もの足りなさを感じ、利休が花入の耳を欠いた故事を思い出し、青山に壺の口を欠くことを提案しました。青山も了承しましたが、下手人の八田円斎が激しく叩きすぎ、壺は無残にもバラバラになってしまいました。さあ、青山の機嫌の最悪なることは言うまでもありません。側近が即座に壺の割目をつなぎ合わせ、三分の一ほどは割れたままにして花を入れ、茶会となりましたが、来客の益田鈍翁(第81号掲載)や、野崎幻庵は壺を目にするや、やんややんやの喝采ぶり。大英断を賛美されたので、亭主のご機嫌も直ったそうです。


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