![]() |
第88号(平成30年11月15日配信) |
------------------------------------------------- 『ご報告』 伊住 公一朗 ------------------------------------------------- |
![]() |
こんにちは! すでに淡交タイムスやHP等でご存知かとは思いますが、この度、大徳寺僧堂に於きまして得度いたしました事を改めてご報告いたします。 斎号は碧流斎(へきりゅうさい)、安名は宗陽(そうよう)という名を拝受し、非常に身の引き締まる思いで一杯です。 高校生の時に茶道の稽古を再開し、以来10数年経ちましたが、まだまだこの世界では若輩者でございます。 いつかこのいただいた名前に自分が上手に馴染める様、引き続き精進を重ねてまいります。 正式には来年より「宗陽」を使わせていただきます。 各地でお会いした際には、今まで同様、宜しくお声がけくださいね。 茶の湯が川の流れのように緩やかでも良い形で広がっていきますように。 共に頑張りましょう。 |
------------------------------------------------- 茶人の逸話:岩原謙庵 ------------------------------------------------- |
大正3年、「シーメンス・ヴィッカース事件」という一大疑獄事件が起こりました。この事件に巻き込まれた時の三井物産常務 岩原謙三は逮捕され、三井での職を辞します。この岩原謙三は、鈍翁が手代の時から手塩にかけて育てた有能な商社マンでした。 茶の湯でも鈍翁の薫陶を受け、謙三から謙庵(けんあん)と号し、数寄者として名を成しましたが、仕事はともかく茶の湯の世界では大変な粗忽者として有名でした。三井南家当主 三井八郎次郎や三井守之助などの主筋に当たる人々を招いた茶会では、会社から急いで帰宅し、懐石の準備に取り掛かりました。ところが、飯器に添える杓子が見当たらず、それを探すことに気を取られ、中折帽子をかぶったまま茶席にお膳を運び出す始末。次客までは我慢していた一同も、三客に至っても気が付かない亭主に大爆笑となったということです。他にも、亭主を務めた茶会で夫人の愛犬の狆(ちん)が正客の頭に飛び乗り、狆庵に改名を迫られるなど、話題に事欠きませんでした。しかし疑獄事件後も芝浦製作所(後の東芝)所長やNHKの初代会長に迎えられたように、その有能さは評価され続けました。 |