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第83号(平成30年6月15日配信)

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『はっぷくめ』 千 敬史
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(写真:青年部東中国ブロック50周年記念大会にて)

  梅雨です。こんなことを言うのもなんですが着物を着るのが億劫な季節となってまいりました。しかしながら、過ごしにくい梅雨をも風情として楽しむ敢えての姿勢を大事にしていきたいものです。
  この時期は出張多発によりスーツをよく着ています。移動面では着物より大いに楽ではありますが、どうしても正座をする機会が多いので、ひざ部分だけ劣化することもしばしば。体型の変化にも敏感ですからそのあたりの管理も重要です。着物、スーツと二刀流のオフィシャルな服装がありますが、それぞれに良いところ悪いところがあるなぁと改めて感じた今日この頃でした。
  梅雨を乗り切っても次訪れるは暑い夏! 暑さに負けず元気にやっていきましょう。今月もどうぞよろしくお願い致します。

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茶人の逸話:益田紅艶
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  鈍翁・益田孝には、先月ご紹介しました非黙の下に17歳年の離れた末弟がいました。名は英作、紅艶(こうえん)と号しました。
  紅艶は明治10年から15年までイギリスに留学。慶応義塾卒業後、兄鈍翁が創立した三井物産に入社し、ロンドンや上海の支店に勤務しました。その後三井呉服店に異動し、取締役となります。しかし、茶道具好きが高じて退職し、東京の芝公園に「多聞店」という道具店を開業してしまいます。
  益田三兄弟はそもそも美術品に対して優れたな鑑賞眼を持っており、長兄の鈍翁などはよい美術品は「光って」見えたそうです。紅艶も古美術商として活躍しました。
  ところでこの益田三兄弟が名乗った号は、長兄鈍翁が「鈍太郎」という表千家第5代覚々斎宗左の手作り茶碗を所蔵することで、次兄の非黙の号の由来はよく分かっていませんが、「黙するに非ず」という号の通り、自身が催した初期頃の茶会には招待客を風刺冷笑する文言を書き、怒らせて帰してしまうこともあったほどです。英作が号を「紅艶」(こうえん)としたのは「芝公園」に住んでいたことで、友人から「こーえん」、「こーえん」と呼ばれたことによるそうです。これちょっといい加減ですね。


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