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第82号(平成30年5月15日配信)

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『変わらぬこと』 伊住 公一朗
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(写真:御香宮神社献茶式にて)

こんにちは!
先月は、神社2カ所で御家元名代として献茶式をご奉仕させていただきました。
私が献茶式を名代として務めさせていただくようになって、もう5年は経つでしょうか。
会場まで参進する間、着座して台子と向き合う時、様々な場面で未だに緊張しております。
最初の頃はそれが手や足に伝わりブルブル、ガクガク。それこそ、点前どころではありませんでした。
でも近年は随分と落ち着いて臨めるようになりましたが。
そんな私には昔から変わらず続けている事があります。
それは、事前に点前をさせていただく場所、台子の位置等の写真を見るという事です。
何回も行った事がある場所でもです。
写真の情報量というものはたかがしれていますが、想像力を働かせ、気持ちを献茶式当日へむけていきます。
点前をしている自分の姿を想像し、会場の雰囲気を感じる。
ある意味私のルーチンワークかもしれません。

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茶人の逸話:益田非黙
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  先月ご紹介しました近代数寄者の代表的人物鈍翁・益田孝を、茶の湯の世界に引き込んだのは鈍翁の弟益田非黙(ひもく)でした。名は克徳(こくとく、または、かつのり)。庵号は無為庵(むいあん)。
  非黙は慶応義塾を卒業後、司法省に入り官命によりイギリスに留学、法律制度を学びます。そして司法省を退任後、明治12年(1879)日本で最初の保険会社「東京海上保険」(現在の東京海上日動火災保険)を創業、その支配人となりました。
  しかし、非黙は毎朝家を出ても会社の前を素通りして、茶道具商の店へ直行し、茶道具鑑賞に熱中するあまり、そのまま出勤しない日もあったようです。部下はそのような非黙に対し、専用の送迎係をおき、なんとか出社させようとしたそうです。
  また非黙は非常に肥満していたため、正座が苦手で、胡坐(あぐら)で茶を飲んでいましたが、点前をする時は、茶色の木綿製の前垂れのような腰衣をつけて茶を点てました。このやり方は、同じように肥満していた兄の鈍翁も見倣ったそうです。


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