戻る
第58号(平成28年5月16日配信)

-------------------------------------------------
『はじめまして!』 千 万紀子
-------------------------------------------------
(写真:京都 将軍塚にて)

  敬史からバトンを渡された万紀子です。四ヶ月に一度登場しますので宜しくお願い致します。新緑の美しい季節、皆様いかがお過ごしでしょうか? 私は人混みが苦手なので観光地へは出掛けませんが、先日ケネディ駐日米国大使にお茶を差し上げるため京都市山科区にある将軍塚青龍殿に参りました。大舞台から市内を一望すると、自然、古いもの、新しいものが美しく交じり合う京都で生まれ育ったことへの感謝が深まりました。このアイデンティティーを大切にし、皆様と茶道を通して日本の素晴らしさを共有していきたいと思っています。

-------------------------------------------------
茶人の逸話:上林竹庵
-------------------------------------------------

  茶師上林家(かんばやしけ)は、丹波国上林庄(京都府綾部市)出身の久重(ひさしげ)が、宇治に移住し、茶業を営んだことに始まるとされます。久重の子久茂(ひさもち)は、たびたびの合戦で荒廃した宇治を再興し、以前からの茶師森家とともに宇治茶師の代表的な存在となります。また久茂は三人の弟たちを独立させ、上林味卜家(みぼくけ)、同春松家(しゅんしょうけ)、同竹庵家(ちくあんけ)を興させ、宇治における上林家の勢力拡大に努めました。
  久茂の末弟の竹庵は、仕事柄、当然茶の湯の修行に励みます。そして、ある日、千 利休を茶会に招きましたが、茶の湯名人利休を正客に迎えた竹庵は緊張のあまり、点前中に棗から茶杓を落としたり、茶筅を倒したりと、散々なありさまでした。利休に同行していた門人たちは、竹庵の様子を見て、内心笑っていましたが、利休は逆に天下一の点前だと誉めたのです。不思議に思った門人の一人が、そのわけを尋ねると、「竹庵は客においしい茶を飲んでもらおうとして、茶杓が落ちようと、茶筅が倒れようとひたすら点前を続けたが、これこそ茶の湯の心に適うものだ」と、利休は答えたそうです。


戻る