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第55号(平成28年2月15日配信)

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『一息』 伊住公一朗
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(写真:ロータリークラブ初茶会にて)

こんにちは!
毎年の事ですが、1月は初釜式を終えると各種初茶会が続き、気づけばもう2月。
1月には中々できなかった、家族サービスにつとめる予定です。
さて、皆さんにお知らせがあります。
5年前のメルマガ開始以来、巻頭のご挨拶は私、伊住公一朗が孤軍奮闘しておりました。
慣れない事でお目だるい文章ばかりで失礼しました。
4月からは新装開店です!
私のほか、宗家若手で月ごとに交代していくことになりました。
パワーアップする裏千家メールマガジン。どうぞこれからもよろしくお願いします!

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茶人の逸話:江月宗玩
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  江月宗玩(こうげつそうがん)は、堺の豪商天王寺屋津田宗及の子どもで、幼少時から仏門への帰依のこころざしが強く、大徳寺の春屋宗園の弟子となり、後に大徳寺156世住持となります。江月が福岡藩黒田家の菩提寺である大徳寺龍光院の住職となったことで、兄宗凡の没後、江月に遺された天王寺屋旧蔵の茶道具などが同院に伝えられ、『天王寺屋会記』も当初はここに所蔵されていました。
  ところで福岡県には太閤水(たいこうすい)と呼ばれる井戸が各地にあります。天正15年の豊臣秀吉の九州平定にちなむものとされますが、なかでも福岡県糟屋郡新宮町三代(みしろ)にあるものは、秀吉に同行した津田宗及が掘ったという井戸で、旧唐津街道に面し、以前は傍らに同名のバス停がありました。秀吉は博多からの帰途、この井戸の水を口にしたといわれ、後に太閤水の名がつけられたといいます。
  寛永5年(1628)の秋、博多の崇福寺(そうふくじ)から京都に向かう途中、江月はたまたまこの井戸の水を飲み、里人から思いがけずも父宗及との因縁を知ることになり、涙を流して喜んだといいます。


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