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第45号(平成27年4月15日配信)

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『リフレッシュ』 伊住公一朗
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(写真:水無瀬神宮献茶式にて)

こんにちは!
今年の春は雨が多く、鬱陶しい天気が続きますね。
先日は東京で湯島天満宮の献茶式がありましたが、みぞれが降り4月では考えられない真冬並みの寒さで驚きました。
寒暖差が目まぐるしいので、皆さんも体調管理にお気をつけください。
4月は献茶式も増え、宗家も皆、西へ東へ。電車移動が必然的に増えてまいります。
移動中は、読書を楽しんだり、iPadに入れた映画を見たりして意外とリフレッシュの時間に有効活用しています。
今月も各地で皆さんにお会いできる事を楽しみにしております。

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茶人の逸話:神谷宗湛
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  博多の豪商神谷宗湛(かみやそうたん)は、『宗湛日記』という茶会記を残しましたが、そこには珍しいことに豊臣秀吉や千利休などの肉声が収められています。
  天正14年、九州を出発した宗湛は、兵庫を経て京都に上り、京都の大徳寺で利休の参禅の師、古渓宗陳のもとで得度・剃髪します。これは宗湛が、僧侶の姿となる、つまり茶堂(頭)のスタイルになったことを示すものでした。そして大坂に戻り、大坂城で世話役の津田宗及から、利休を紹介されます。その後、城中の大広間で豊臣秀吉と初の面会を遂げるのですが、部屋に入ってくるなり秀吉は大声で「筑紫(つくし)の坊主はどれぞ」と叫びました。すでに宗湛が茶堂の姿になっていたことを秀吉は知っていたようです。
  また、「北野大茶湯」が1日しか行われなかったので、九州からは間に合わなかった宗湛に対し「かわいや、おそく上りたるよな、やかて茶をのませうそよ」(可哀そうなことに、間に合わなかったのだな。そのうち俺が茶を点てて飲ませるからな)と慰めたそうです。
  利休は京都の聚楽第の茶会で、宗湛等に対し黒楽茶碗を一度は出しながら、「黒きニ茶たて候事 上様(秀吉)御きらひ候程ニ此分ニ仕候」(黒楽茶碗に茶を点てることは、秀吉様が嫌っておられるのでこのようにします)と言って、瀬戸茶碗と取り替えてしまったのでした。


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