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第35号(平成26年6月15日配信)

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『フィンランド』 伊住公一朗
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(写真:ユッシ・パユネン ヘルシンキ市長と)

こんにちは!
前回のメルマガでお知らせしておりました通り、
フィンランドに5月末から1週間行ってまいりました。
関西日本・フィンランド協会(関西在住者のフィンランドファンクラブのような…)の35周年行事がヘルシンキで開催され、会長である大宗匠の名代として渡芬した次第です。
淡交会フィンランド協会の25周年も併せて開催されました。
世界遺産の城塞の中にある茶室『徳有庵』を中心に行事が行われ、鶴岡八幡宮、小笠原流ご宗家による流鏑馬神事も催行されるなど日本の伝統を現地の方に紹介し、大変に喜んでいただけました。
小笠原流のご宗家とは初めてご一緒させていただき、良い刺激にもなり勉強させていただきました。
記念茶会ではフィンランド協会の会員が、“アラビア”の茶碗などフィンランドらしい道具組で出迎えてくれ、また彼らのお茶に対する真摯な姿勢にも触れ感銘を受けました。
世界中の多くの同門がそれぞれの立場で茶道の修道に励んでいます。
非常に収穫の多いフィンランド出張となりました。

※フィンランド訪問の詳細についてはこちらからご覧いただけます。

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茶人の逸話:石黒道提
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  珠光の弟子といわれた人たちの逸話をもう少しご紹介しましょう。石黒道提(いしぐろどうてい)は、室町幕府管領畠山政長(かんれい はたけやままさなが)に仕えた武士、石黒三郎左衛門といわれています。政長は従兄弟の義就(よしなり)と家督争いを起こして、「応仁・文明の乱」(おうにん・ぶんめいのらん)のきっかけをつくった人物です。道提は隠退して、京都の千本(せんぼん)付近に住みましたので千本の道提とも呼ばれます。隠退にあたり、米四十石が収穫できる田地を手にしていました。
  珠光に茶の湯を学んでいた道提でしたが、葉茶壺を持っていなかったので茶の湯者としては一人前ではありません。ある時、どうしても手に入れたい葉茶壺に出会いましたので、思い切って四十石の田地とその壺を交換してしまいました。こうやって葉茶壺を手に入れ茶の湯に励んだ道提でしたが、足利義政がこの話を聞いてその潔さに大変感動し、なんとその壺を道提から召し上げ、自らのコレクションに加えてしまったのです。以後、義政はこの壺に「四十石」(しじゅっこく)という名を付けて、大切に扱いました。
  『山上宗二記』によれば、「松島」、「三日月」という名物の壺が本能寺の変で焼失してからは、「四十石」が「天下一」とされたそうです。


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