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第33号(平成26年4月15日配信)

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『春の訪れ』 伊住公一朗
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こんにちは!
各地で桜も咲き誇り、随分と暖かくなってまいりました。
四月にしては予想外に寒い期間もありましたがようやく春めいてきましたね。
さて、今月は新生活をスタートさせた方も多いと思います。
入学、入社、異動、転勤、転職。
人は誰でも新しい環境に慣れるのに時間がかかります。
新しいフィールドで、一から人間関係を構築していかなければなりません。
その事をストレスに感じず楽しむ事が大切です。
皆さんの未来が明るいものでありますよう祈念しております。

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茶人の逸話:宗珠
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  宗珠(そうしゅ)は前号でふれたように、珠光の「跡目」(あとめ)とされた人物で、珠光とは違い、良質な史料にその名前が出てきます。『山上宗二記』には上述のように珠光の後継者とされていますが、息子とか、甥というような血縁関係ではなかったようです。
  宗珠は前半生を大徳寺の僧侶として過ごしたとも言われ、のちに寺を出て京都の下京(しもぎょう)四条あたりに住み、その庵を午松庵(ごしょうあん)と称したようです。この宗珠の庵を訪れた公家の鷲尾隆康(わし(の)おたかやす)は、日記『ニ水記 (にすいき) 』に「山居之躰尤有感、誠可謂市中之隠 (さんきょのてい もっともかんあり、まことにしちゅうのいんというべし) 」と、山中にある住まいのようで、じつに街中の隠れ家というべきものであった、とその庵についての感想を書き綴っています。
  また連歌師宗長(そうちょう)も、その日記『宗長手記』で「下京茶の湯とて、この頃数寄などいいて、四畳半舗六畳舗。おのおの興行。宗珠さし入り、門に大いなる松あり、杉あり。垣の内清く。蔦落葉五葉六葉。色濃きを見て、今朝や夜の嵐を拾う初紅葉」と、宗珠の居宅には四畳半や六畳敷の座敷があって、そこではいままでの茶の湯のスタイルとは違う下京茶の湯というものが行われており、門の内には松や杉が生い茂り、垣根の内側は掃き清められていた、と具体的な記述をのこしています。
  この二つからも、当時の人々が宗珠の茶の湯に出会い、その侘びた風情に感じ入っている様子がうかがえます。

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裏千家学園:平成26年度入学式
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  4月7日(月)、澄みわたる青空に桜花の舞うなか、平成26年度の新入生が裏千家学園の門をくぐりました。入学式の詳細はこちらをご覧ください。


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