![]() |
第23号(平成25年6月15日配信) |
------------------------------------------------- 『天気予報』 伊住公一朗 ------------------------------------------------- |
![]() |
写真:大宮八幡宮献茶式園児茶席) |
梅雨入りが発表されてから早、幾日。まったく雨が降らない日が続き、空梅雨の様相です。 こう雨が降らないと、普段は鬱陶しい雨にも恋い焦がれます。天気というのは気まぐれなもので、人間が100%完璧に予見することはできません。晴れの予報で外出して、突然雨が降ってきたら憂鬱な気分になることもあります。 でも、ホッと一息ついて「自然は気まぐれだなぁ」と思えるような心構えが大切です。 お茶を楽しんでいる皆さん、天気と上手に付き合って、今日という一日をエンジョイしましょう。 |
------------------------------------------------- 少庵の逸話その2 ------------------------------------------------- |
少庵が母とともにいつ千家に入ったのかはよくわかっていませんが、やがて堺を離れ、利休が京都に購入した屋敷に住むことになります。その屋敷は大徳寺門前(現在の京都市北区)にありました。 少庵は、そこで青竹の蓋置などを使い茶会を開いたところ、堺からすぐれた茶人が上洛したといって、京都中の評判となり、少庵の茶会に招かれることを多くの人々が熱望したと、『江岑夏書』(こうしんげがき)には書かれています。 少庵の京都転出を裏付けるものに、天正8年(1580)12月の『天王寺屋会記』の記事があります。28日朝、堺の自宅の茶室に少庵一人を招いた天王寺屋津田宗及は、床の掛物に秘蔵する藤原定家筆の「色紙」を使用した茶会を開き、少庵をもてなしますが、そのわけは「帰洛之てたち(出立)」、すなわち京都に帰る少庵の送別のためでした。ご存知のように津田宗及は利休や今井宗久とともに、織田信長、豊臣秀吉の茶堂をつとめた堺の豪商で、有名な茶人でした。 後に大徳寺門前の屋敷は、利休の京都屋敷となり、少庵は二条衣棚通(にじょうころものたなとおり)付近に新たな屋敷を構えます。しかし豊臣秀吉の京都大改造事業のあおりを受け、現在の千家の所在地、本法寺前(京都市上京区)に屋敷を移したのでした。ここが少庵にとって終の住み家となります。 |
------------------------------------------------- 資料館学芸員出張所 ------------------------------------------------- |
本年は裏千家第14代無限斎居士の五十回忌、第15代鵬雲斎大宗匠の卒寿、第16代坐忘斎家元の継承十年という記念すべき年にあたります。茶道資料館では、本日6月15日(土)〜8月25日(日)の期間、特別展として「裏千家歴代展─無限斎・鵬雲斎・坐忘斎─」を開催し、三代各家元の手造、好み物を中心に、所縁の茶道具を紹介いたします。 今号ではその中のひとつ、「無限斎好 巳宝珠香合」について解説いたします。 |
![]() |
無限斎好 巳宝珠香合 永樂即全作 還暦記念 |
昭和28年(1953)、癸巳年に無限斎が還暦に因み、好まれた宝珠形の香合です。蓋表には上部に注連縄、中央にゆずり葉、その両脇に銀彩で巳(蛇)、さらに裏白と梅鉢文が描かれています。蓋裏には青釉を施し、朱書で「好」の文字と花押が書かれています。 奇しくも本年は無限斎生誕百二十年にあたる癸巳の年でもあり、特別展で紹介するのに相応しい作品の一つといえます。 |