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第12号 7月15日配信
写真:第43回北陸信越地区大会 青年部席
松平宗紀様筆「優游涵泳(ゆうゆうかんえい)」
第12号(平成24年7月15日配信)

『コンチキチ』伊住公一朗

  こんにちは!
  毎日うだるような暑さですね!
  皆さま、体調はいかがでしょうか?
  京都では祇園祭が始まっております。
  もう明後日には山鉾巡行があり、京都人の熱気は最高潮に!!   一度、学生の時に長刀鉾をボランティアで曳かせていただいた事があります。
  あいにくその日は土砂降りの雨、鉾は想像以上に重い・・・
  それでも最後まで力の限り鉾を曳き、無事に巡行を終えることができました。
  皆さまも夏の京都に是非おこしください。

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第43回北陸・信越地区大会青年部席特集
大会会長:荒井公夫北陸地区地区長、大会副会長:仁科惠敏信越地区地区長
主管・福井支部、品川一郎支部長

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  青年部席は足羽(あすわ)川で主客がともに舟に乗ったという趣向。水面の風情を写し取った涼やかなお菓子でお迎えしました。


  席では来年度1つになる福井支部の5つの青年部ゆかりの趣向が取り合わされました。棗は福井の魚で天然記念物の「いとよ」蒔絵でいとよ青年部、敦賀の貝を用いた釉薬の主茶碗から「ますほ貝」にちなんでますほ青年部、日野青年部は地元の越前和紙を祀る岡太神社の御神木で作られた色紙掛、越青年部は1800年前に九頭竜川で栄えた越の国から雲竜釜、そして絶世の美女と伝えられる振媛(ふりひめ)にあやかって点前を担当する振姫青年部と各青年部あげてのおもてなし。


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茶人の逸話その4:芝山監物
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  芝山監物(生没年不詳)は利休七哲の一人として知られ、詳しい記録は残っていないものの、監物宛の利休書状が多数残されるなど利休はじめ当時の茶人たちとの親密な交流が思われる人物です。

  ある日、監物は利休、蒲生氏郷、細川三斎を招いて茶会を催しました。床には秘蔵の一休和尚筆「初祖菩提達磨大師」の墨跡が掛けてありましたが、大変に長いため、一部を巻いて掛けていました。席中、監物は利休に表具の直しを依頼します。しかし、利休は、「珠光の好み表具であるこれほどの掛物を直すことはできないので、天井を高くするのがよいでしょう」と答えます。監物は、「珠光でも何光でも構いません。何とか直してください」と食い下がり、氏郷、三斎も監物に口添えしますが利休は承知しません。ついに、「私には直せませんので、それほどなら貴方たちが直しなさい」と言われ、監物はやむなく床天井を高くしたとされています。

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  芝山監物は芝山緞子、芝山型手水鉢などに名を留めたほか、天正16年には後陽成天皇の聚楽行幸に供奉して前駆をつとめ、監物に叙任されたとされています。しかし、武将としては小身だったためか、その他の来歴はよく分かっていません。


  監物ゆかりとされる品が京都府大山崎の妙喜庵に遺されていました。千利休居士作の国宝茶室・待庵、その躙口にある手水鉢が監物寄進のものと伝えられているのです。しかしながら、この数少ない遺物も果たして本当に寄進当時のものか確かな史料はなく、今日まで伝えられてきた由来に往時を偲ぶのみとなっています。


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