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第8号(平成24年3月15日配信) |
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『願い』 伊住公一朗 こんにちは。 東日本大震災から一年が経ちました。 謹んで犠牲になられた方々の御魂の平安をお祈り申し上げます。 日本国民、また世界が真剣に被災地の事を考えたこの一年間でした。 私たちのほんの少しの気遣い、支え合いでさらなる復興が進みますように。 一日、一日を大切に。さぁ、今日も頑張りましょう!! |
------------------------------------------------- 第25回ひな祭り茶会 ------------------------------------------------- |
3月2日(金)、京都市左京区の「下鴨茶寮」において第25回ひな祭り茶会が開催され、裏千家学生茶道研究会会員の点前で参加者に一碗を呈しました。 今年は12大学からの学生とともに、東日本大震災で被災し京都市内で避難生活を送りながら京都市立桃山小学校に通う児童28名が招待されました。 http://www.urasenke.or.jp/textm/gakucha/g-tayori/gtayori42/gtayori42.html |
------------------------------------------------- 茶人の逸話その1:蒲生氏郷 ------------------------------------------------- |
蒲生氏郷(1556-1595)は近江蒲生郡日野に生まれた戦国時代の大名で、利休七哲の筆頭に挙げられる人物です。幼少期、六角氏の人質として織田信長のもとに送られた氏郷はやがて信長からその器量を見込まれ、娘の冬姫と結婚しました。 氏郷はその後、秀吉に従い伊勢の松ヶ島城攻めなどで功を立て、天正16年には松坂十二万石の城主となりました。 秀吉も氏郷を信任すること厚く、ある時台子の茶に氏郷を招きました。茶会当日、懐石が終わった後、炭手前になって氏郷は炭の拝見を乞います。秀吉はそれを受けて水屋に戻り、水屋から席中の様子をうかがっていました。氏郷が台子の前に進み、頭を差し入れて炭の様子を覗こうとしたその途端、急に炭くずがはしって火の粉が顔に飛び散りました。しかし、氏郷はびくともせずに炭の拝見を終え、悠々と自席に戻ります。その肝のすわり方を見た秀吉は小田原の役の後、氏郷に会津黒川九十二万石を与えたとされています。 |
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現在の滋賀県蒲生郡日野町にあるひばり野公園には氏郷公の銅像が建っています。この像は会津若松城主となっていた氏郷公が中山道の武佐(近江八幡市)を通りかかった折、日野を望んで歌を詠んだ姿を写したものとされています。 銅像の手には筆とともにこの和歌の書付があり、文武両道の武将茶人の姿を今に伝えています。 |
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ひばり野公園内 氏郷公銅像 |