― 今こそ「一碗からピースフルネス」― |
千 宗室 |
  今年、50周年を迎えた。何の50周年か? 裏千家・利休居士第十五代家元、
千宗室さんが、茶の湯を国際的に普及するために世界行脚を始めてから50年目である。  「当時、アメリカ駐留軍第六軍司令官だったダイク代将が早稲田大学で講演されて、その中でこう言われたんです。 『日本がアメリカの民主主義を学ぶことは重要だが、日本にも民主主義は昔からあった。茶道では一碗のお茶を頂く とき、身分の上下は一切なく、武士といえども刀を腰から外し、低頭して茶室に入った。茶を心得ている人が正客と なって他の連客を導く。ここに平和な民主主義があったのだ』と。代将はきっと本で日本文化や茶の湯のことを ご存じだったのでしょう。私はすぐに手紙を書いて『その茶道をアメリカの人びとに知ってもらい、日本人が真の 平和を望んでいることを理解してもらうために、是非訪米を許してほしい』とお願いしました。まだパスポートも ない時代でしたが、その願いが許されて、アメリカで茶道紹介をすることができたのです。それが50年前、昭和26年 (1951年)のことでした」   3年前、妻の登三子さんが、 「あと3年したら50年になるわねえ。その時は世界中の人たちとお茶の席を共にしましょう」 と言った。が、その直後、登三子さんは急逝する。  「家内はいつでもどこでも横にいて、私を助けて茶の湯を世界に広めてくれました。その家内がいなかったら (50周年記念行事は)やっても仕方がない。止めようと私は思いましたが、若宗匠(長男政之さん)が 『お母さんの遺志だから』と言うので、ハワイで世界中から1200人が集まって3日間、茶会を行いました。 本当に家内には申し訳ないんですが、私の半世紀のしめくくりとして、花道になりました」   花道―といっても即、引退隠居とはいかない。裏千家は生涯家元が原則。なにしろ78歳とは絶対に思えない 若々しさだ。朝4時起床。そして海軍体操。海軍土浦航空隊、徳島航空隊などで飛行科士官として培った海軍魂は健在だ。 「ご先祖様にお茶を差し上げてから読経。それから雨であろうと雪であろうと欠かさず1時間、これをやります」   とジョギングの形。速歩よりやや速いスピードで、万歩計が8000歩を超す。 「医者には『歩きすぎや』と言われますが、有り難いことに歯も全部自分の歯で、三度三度の食事もおいしく感謝して 頂いてます。西村晃(俳優・海軍同期)や塚本さん(幸一・元ワコール会長)、佐治さん(敬三・元サントリー会長) ら、戦後一緒に苦労してやってきた連中がみんな先に逝ってしまって寂しいです」   アフガン情勢はじめ、世界が騒然としている今日、「一碗からピースフルネス」を説く家元には大きな願いがある。  「少し先が見えてきたら、アフガンへでもどこでも出かけて、茶の湯を共にしながら静かに皆が語り合える場を 是非作りたいと思っています。茶の湯は「妙味」というものを引っぱり出せるんです。人間誰もがかぶっている ベールを脱ぎ捨てさせる―それが「妙味」。そういう場を作れたら、それが私の死に場所かな・・・・・・と」 文藝春秋社「週刊文春」誌(平成13年12月20日号)、新潮社「週刊新潮」誌(平成14年1月3日・10日合併号) 「BIG ONE」より転載 |