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「始めの準備、後始末」の心得

千 宗室

  私が師として仰いだ盛永宗興老師は大変厳格な方でした。厳格と言ってもいたずらに怖いということではありません。ただそこに相見させていただく人間に覚悟があるか・ないかということをしっかりと見極める方だったと思います。
  その老師の唯一の趣味と申し上げては失礼かもしれませんが、嗜まれていたものが煙草でした。嫌煙権の時代に煙草の話をするのは心苦しいことですが、老師と相見させていただく際、おおかた老師は紫煙を燻らせて私の話を聞いてくださったり、合間合間にいろいろなご指導をくださったりいたしました。
  私は今でも老師の煙草をお吸いになる姿が目に焼き付いています。何て綺麗に煙草を吸われる方だろう―長い間、どこが他の愛煙家とその佇まいが違うのか気になっていました。しかし、どうしてかは分からないままでした。たまたま先日の夜、眠りに入る寸前にふとその答えを見つけました。火の消し方がとても綺麗だったということです。昔の方ですから親指と人差し指で煙草の火先の方だけを揉み落とし、いらぬ煙を立てぬように灰皿の中に落とし込まれます。辺りには余計な灰も散りません。そしてその灰皿も慌てて下げるようなことはなくとも、静かに老師の前に収まっていました。
  「始めの準備、後始末」とよく茶の湯の世界では申します。老師の煙草の吸い方を「後始末」に当てはめて語ってよいのかどうか私には分かりません。しかし、そのお姿というものが私の中に残っております。余情残心の一つのかたちではないかと今でも思っている次第です。

淡交タイムス 9月号 巻頭言より