裏千家トップページへ
「おめでとう」の意味

千 宗室

  子供の頃、通学路の都合で祖父母の淡々斎夫妻と三人で暮らしていた時期がありました。その時に毎月一日は「お朔日(ついたち)おめでとうございます」と挨拶を交わす習慣の中で育ちました。日々様々な出来事があり、心地よいばかりではない季節のうつろいのなかでひと月無事に過ごさせていただいたという感覚は、祖父母の時代にはとても大きな意味を持っていたのでしょう。毎朝仏間で開く過去帳を見ていますと、寒い冬や暑い夏を越した後に亡くなられる方々が大勢いらっしゃったことに気付きます。「お朔日おめでとう」はまたひとつの節を越えたこと、自分のみならずこの間見た顔ぶれが再びこうして揃うことができたことを確認し合う言葉だったのです。
  若い時は祖母が家に遊びに来た私の友人にまで「今日はお朔日だからおめでとうと挨拶する日だよ」と注意するのを聞いて煩わしく思うこともありました。けれども私自身が年齢を重ね、皆さまの前で話をさせていただくようになってから、常に人は同じ状況で集っているのではないのだということがよく分かるようになりました。特別おめでたいことがあったわけでもないのに「おめでとう」と言うのは、聞き慣れない方にはピンとこないかもしれません。しかしそこには取り敢えず今月も顔を合わせることができた感謝と、できれば次もそうであって欲しい・・・・・・・・・・・という祈り・・のようなものが込められているのです。
  早いもので上半期最後の月となりました。平成が終わり、令和という新しい時代が幕を開けたこの半年の無事に感謝し、来たる下半期も恙なく相過ごせますよう祈念いたしております。

淡交タイムス 6月号 巻頭言より