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自然への畏怖

千 宗室

  茶の湯を学ぶと、日本のさまざまな生活文化や知恵に触れることができます。私たち大人が、子どもたちや後進の方々に茶の湯を通じて何を教えたら良いかと考える時、それは「自然はおっかないもの」ということを伝えることが一番ではないかと思います。畏怖の念。怖がったり、徒に恐れたりすることではなく、自然を意のままに管理(・・)することはできないから上手に向き合っていこうとする心掛けです。
  例えば稽古場に入れる花。よく知られた宗旦居士と椿の逸話のように、用意していた花が茎からポロリと落ちたとします。それをもう役に立たないゴミとして扱ってしまうか、落ちた姿でもまだ命あるものとしてきれいだと一言添えられる先生と、どちらが子どもたちに奥行を広げてあげられるでしょうか。自然に対する気づき、命に対する思いやりの心、感性。本当らしい(・・・)ものが何でもすぐ手に入る便利な世の中にあって、欠落しがちな空想力を育むことで、自然への畏怖の念や対処する知恵が生まれます。
  本来そうした知恵が備わっていてこその大人。しかし、いざその場になった時、とっさに相応しい一言を示してあげることはなかなか困難かもしれません。私たちは茶花の開花や季節の移り変わりなど、人間のわがままで「こうあるべき」と勝手に決めつけがちです。利休七則に「花は野にあるように」とあります。これは言い換えると「花の立場になりなさい」ということ。相手を思いやり、あるがままを受け入れる一期一会の精神を、指導する立場の方も教えられる立場の方も共に成長するつもりで日頃から気に掛けていただければと存じます。

淡交タイムス 9月号 巻頭言より