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人間好時節(こうじせつ)

千 宗室

  良く知られている禅語に「平常心是道」というのがあります。「平常心」という言葉自体、日常的にスポーツの世界や緊張を強いられる場などで使われていますが、「無心の境地」とか「澄みきった、何ものにも惑わされない心」とは異なると私は思っています。“自分はこうでなければならない”と型を決めつけ、それに嵌め込もうとすると無理が出る。心の揺れ動く自分も、体調が悪い日も“今の自分はこういう状態”と、あるがままを認めて受け入れることこそが平常心を生みます。無論、だからと言って自制心を無くし自堕落になることとは違いますので、履き違えの無きように。
  『無門関(むもんかん)』に中国唐代の二人の高僧、(なん)(せん)()(がん)趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)の逸話があります。趙州禅師が師匠である南泉禅師に「如何なるか是、道」、禅の神髄は何かと尋ねます。師の答えが「平常(びょうじょう)(しん)(これ)(どう)」でした。趙州禅師はこれを機に大悟したといい、この話に対し『無門関』を編集した無門(むもん)()(かい)禅師は次のような詠をつけています。

    春に百花有り、秋に月有り、夏に涼風有り、冬に雪有り、
    もし閑事の心頭にかかること無くんば、すなわち是れ人間の好時節

  あれこれ要らざることを考える余計な気持ちが無ければ、いつだって自分にとって一番心地良い時だろう――そんな意味です。私たちは日頃、取り巻く自然が素晴らしいものであるにも関わらず不平不満を口にします。例えば夏、エアコンの効いた部屋は快適ですが自然を遮断してばかりでは感謝の念が消え、せっかくの「その日」と出会うことなく終わってしまう。暑さがあるからこそ微かに渡る風の有り難さに気付くもの。丸ごとの自分で向き合ってはじめて、ありのままの一日の貴さが見つかります。皆さまそれぞれが本来持っている「平常心」を自身のなかに見つける、そんな心構えで日々の暮らしや稽古にも取り組んでみてください。

淡交タイムス 7月号 巻頭言より