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言葉の深み

千 宗室

  「青」という色の名があります。空の色を指すこともあれば、水の青もあり、陽射しのなかに青い影を感じることもあります。また同じ青空でも、白い花の向こうに見る空と紫の花越しとでは空の青さが変わって見えるという具合に、人間の感覚とは非常に振り回されやすいものです。
  子どもだった頃、「(こん)」と「青」とは全く違うものだと私は感じていました。それが段々と、青というもののなかに紺が含まれているんだな、と考えるようになりました。きっかけは訳語。ブルーという英語を日本では青と訳すことが多いですが、スカイブルー、ネイビーブルー、ミッドナイトブルーなど表現が分かれています。
  学校教育の現場で、最近は紺という言葉が使われなくなってきていると聞きます。紺ではなく、青という言葉だけに。着物文化が身近なものではなくなり、昔から大切に使われてきた言葉が排除されていく。グレーも、利休鼠や(にび)(いろ)など非常に細かく分かれていたものが灰色という言葉ひとつで括られてしまう。それは今後益々表現力や理解力の欠如につながっていきます。
  茶の湯の点前や作法の指導において、言葉の使い方によってスカイブルーともミッドナイトブルーともとれるような、ほんのちょっとした扱いひとつをとっても相手からすれば「どっちのブルーかな」と考えられるような指導をします。現代人の多くは言葉を捉えて自分で上手に処理することができないため、教授者はもっと的確な言葉を使わざるを得ないよう追い込まれています。しかし、お茶の世界はある程度漠然としていていいと私は考えます。その先生の指導のなかで根本さえ間違っていなければ。空色、水色、紺、藍、群青色、どんな青でもいいけれど、青色という根本だけはしっかり覚えて指導できるようにしていけばいい。枝葉の部分としての濃い(・・)薄い(・・)という言葉を付けられる指導力が求められる時代だと思っております。私も以前、人前で話をする際にもっともっと分かりやすくと意識をして喋っていた頃がありました。するともう深いところに入っていけません。非常に悩むところではありますが、そんな時こそ根本に戻れるように基本をしっかりとしていただきたい。私たちの心はアナログです。デジタルカメラのように撮影後に色々な補正はできません。だからこそ面白いのだと思います。季節を重ね、稽古を重ねることで得られる深みを味わっていただきたいと存じます。

淡交タイムス 6月号 巻頭言より