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心を耕す

千 宗室

  私たちは誰しもまっさらな心で生まれてきます。生まれたばかりの赤ん坊は欲得がなく、本当に必要なもの以外は何も求めません。その「赤心(せきしん)」の上に、年齢を重ねるうちにいろいろなものを被せてしまいます。よく知られる懺悔(さんげ)(もん)と呼ばれるお経に、我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう) 皆由無始貪瞋癡(・・・)(かいゆうむしとん(・・)じんち(・・・))…とありますが、三毒(貪欲(とんよく)瞋恚(しんに)愚癡(ぐち))とされる、必要以上を求める欲望や妬み憎む心、他人と比べてグチを言うような愚かさ、そうしたものにより心がガチガチに固められてしまっています。
  この心に(すき)を、(くわ)を入れられるのは自分だけです。「文化」を英語でカルチャーといいますが、その語源のひとつに土地を耕すという意味があるそうです。農業はアグリカルチャー。土を耕すと石コロや木の根など、そこではとりあえず用をなさなくなった邪魔なものが出てきます。それを取り除く。そして冷たい土を陽のあたる場所に出し、ものの育つ肥沃な土地にしていきます。硬い心を掘り返したら貪欲・瞋恚・愚癡、そうしたみにくい心が出てきますが、取り除いて慈愛の光をあてて豊かな土壌を造る行為、あるいはそれによって生み出されるものが文化なのでしょう。
  皆さんには自身で己の心に手を入れること、そして今、自分の心がどんな有様(ありさま)かを見る勇気を持っていただきたい。例えば四季を愛でる心のような、素直な優しい気持ちでもって日頃から自分の心を耕していてこそ、さまざまな感謝すべきものに出会った際に受け止めることができます。心を見つめるのは恥ずかしいことですが、恥ずかしくなると嫌だから見ない、のではなく自分で恥ずかしがることが大切です。私はこれまでそう心掛けてきました。そしてこれからも日々恥をかきながらでも茶の湯と共に生きていきたいと存じます。

淡交タイムス 5月号 巻頭言より